舞うが如く 最終章 1~2
舞うが如く 最終章
(1)水沼製糸場
明治維新から15年がたちました。
富岡製糸場に学んだ後、前橋に新設された製糸工場で
6年間にわたって工女たちを指導してきた琴が、地元の水沼の地へようやく帰ってきました。
水沼は琴を育てた深山・法神流の故郷です。
琴が生まれ故郷に戻って来た理由は、
急成長を遂げている水沼製糸場からの要請によるものです。
直接、米国へ単身で乗り込み、生糸の取引の道を切り開いてきた水沼製糸場は、
さらなる飛躍のために、工場の拡大に取り組みはじめます。
前橋の大渡製糸場で技術指導を受けた星野長太郎が、
明治7年(1874)2月に、勢多郡水沼で開業したのがはじまりでした。
渡良瀬渓谷を見下ろす高台の長屋門を入ると、目の前にはすぐ工場が建っていて、
その裏手には乾燥場と、揚げ場が作られています。
工場が東西の二つの棟に分かれているために、
工女たちも、2つのグループに分けられていました。
グループには、16人の工女と小工女(見習い工女)の19人が配置されました。
さらに差配方(世話人)1人と、師婦(技術指導者)の1人をくわえて、
その合計が、37人という大所帯です。
この二つのグループを束ねて監督することが琴の仕事になりました。
(1)水沼製糸場
明治維新から15年がたちました。
富岡製糸場に学んだ後、前橋に新設された製糸工場で
6年間にわたって工女たちを指導してきた琴が、地元の水沼の地へようやく帰ってきました。
水沼は琴を育てた深山・法神流の故郷です。
琴が生まれ故郷に戻って来た理由は、
急成長を遂げている水沼製糸場からの要請によるものです。
直接、米国へ単身で乗り込み、生糸の取引の道を切り開いてきた水沼製糸場は、
さらなる飛躍のために、工場の拡大に取り組みはじめます。
前橋の大渡製糸場で技術指導を受けた星野長太郎が、
明治7年(1874)2月に、勢多郡水沼で開業したのがはじまりでした。
渡良瀬渓谷を見下ろす高台の長屋門を入ると、目の前にはすぐ工場が建っていて、
その裏手には乾燥場と、揚げ場が作られています。
工場が東西の二つの棟に分かれているために、
工女たちも、2つのグループに分けられていました。
グループには、16人の工女と小工女(見習い工女)の19人が配置されました。
さらに差配方(世話人)1人と、師婦(技術指導者)の1人をくわえて、
その合計が、37人という大所帯です。
この二つのグループを束ねて監督することが琴の仕事になりました。
作品名:舞うが如く 最終章 1~2 作家名:落合順平