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フォックスギャップの亡霊

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10.永遠にさよなら



 バスのシートに身を埋めた7分後、オリヴィエは危うく泣き出してしまいそうになった。背後に座った男があからさまに怪しい。もうすぐ背中に銃を突きつけられ、そのままペッパーミルの裏口へ逆戻り――何せ発着場からホテルまでは一直線、車で5分も掛からない――小部屋へ連れて行かれて、万力で目玉が飛び出すほど頭を締め上げられる。だが幸い、しばらくしてやってきた女がその太い身体を狭苦しいシートに詰め込む。どうやら夫婦らしい。聞こえてくる会話は旅の日程や食べ物の話ばかり。微笑ましく、彼とは縁がないものだった。だがまだ油断は禁物、いつヨーロッパ製の開襟シャツを着たやくざ者たちが押しかけてくるか分からない。膝の上に乗せたリュックサックへ手を突っ込み、オリヴィエは発車までの20分間、息すらこらして座席に縮こまっていた。

 溜息のような音と共にドアが閉まり、エンジンの回転が早まる。座席は半分も埋まっていなかった。不足分など気にも掛けずにバスは走り出す。横に振られる感覚。チャックの狭間から手を引き抜き、去っていく景色を見送る。誰も追いかけてくる人間はいなかった。テレビの配線を引っこ抜くように、ぶつぶつとしがらみが切れていく。まだ塞がったような胸のまま、それでもオリヴィエは何とか息をつこうと口を開いた。もう二度とここへは戻らない。二度と。

 深夜2時25分にリノを出発したバスは、ソルトレイクシティを経由して明日の8時半にはロサンゼルスへ。遠回り位で丁度いい、覚悟を決めるには。決めたら最後、この顔とはお別れ。刑務所の中で見たテレビ広告曰く、ビバリーヒルズには韓国人の医師で腕のいい男がいるのだという、ニコール・キッドマンの頬骨を盛り上げたと噂の。そこへ行けば変えてくれる、きっと。

 尾を引いて流れていくネオンは美しい。リュックサックにしがみつきながら、オリヴィエは確かにそう思った。ラスベガスと比べればこじんまりしているのかもしれないが、行ったことのない彼には幸いなことに分からなかった。半分ほど引いたカーテンの背後に身を隠しているのは恐ろしさ故だったものの、残り半分の汚れたガラス越しに見た分でも、やはりカジノの夜景は美しかった。昼間に降っていた、西海岸には珍しい雨が街の埃を洗い流してしまったらしい。いつにも増して光り輝く看板の色は鮮やかで、暗闇の中に浮かび上がっていた。

 それが現実かどうかは別として、未来を語るのは得意だった。だが過去となると難しい。いつでも事実を知るのは全てが終わってからのこと。刑務所が恐ろしいと感じたのだって、出所した次の日のこと、丁度アムトラックの切符を買っていたとき。よくもまあ、あんな場所で2年間も生きていられたものだ。ネオナチ、レイプ魔、連続殺人鬼。恐怖が背筋を駆け下り膝にまで到達した時、オリヴィエは強く決意した。あそこへは絶対に戻らない。間抜な真似は金輪際しない。
 言っているそばから綱渡りをするなんて、自分の頭はどうかしていたのだ、きっと。カラス並みなのか、刑務所での勘が鈍っていたのか。もともとそれほど自らの才覚に自身を持っているわけではなかったが、そのときは最善だと思っていたことを懸命にやり遂げれば、全て悪い方向に傾く。今になってようやく分かった。俺は馬鹿だ。けれど今度こそは。そう、二度と。
 
 馬鹿な真似をしでかしたのは自分自身であり、レナードを恨む気はなかった。
 そう言えたならば、もう少し自分は利口に生きることができたのだろう。だがやはり、腹立ちを完全に消すことは出来ない。あんな無茶な賭け。一晩で寿命が5年くらい縮まった気がする。
 いくら刑務所で親切にしてくれて、トロピカルバーを送ってもらったからと言って。今夜だけで借りを全て帳消しにしても、神は怒らないに違いない。
 上っ面だけの恨みつらみを幾ら並べてみても、リュックサックの布越し、顎に当たる固い感触から逃れることは出来なかった。
 札束も重いが、荷物の中で一番の重量を持つのは恐らく、一番上に押し込まれたコルトパイソンだった。弾も1箱分、ちゃっかり調達してある。
 レナードは怒り狂っているに違いない。何せ父親の形見だ。自らが彼だったら、と考えて、オリヴィエは即座に打ち消した。レナードの父親が死に際に残した銃で、自らの父親を撃ち抜くかもしれないのだ。ひどい話だと、他人事のように思う。東洋風に言えばカルマ。そうならなければいいのだが。今回に限って、先のことが何も分からない。

 銃は重いが、道のりへの不安を少しだけ軽くしてくれた。ごめん、と胸の中で謝っておく。心の底から。
 刑務所の中にいて学んだのは物理学の初歩と、嘘の見分け方だった。肩から上、鼻から下と、両目。これらを総合的に分析し、そして最後に一番大事なもの、勘を加える。
 一々目なんか見なくても、オリヴィエは先ほどレナードが嘘などついていなかったことに気付いていた。彼は本気で、この街から出て行く気などないのだ。彼はオリヴィエよりもずっと利口で、経験も積んでいる。彼といると怖かったが、楽しかった。その瞬間は。まるでホールカードを捲る一瞬のように、サイコロを投げる一瞬のように。

 それはオリヴィエが、アムトラックの車内で捨て去ろうと固く決心していたものだった。

 裏切ったような気持が消すことができない。馬鹿な事だとは分かっている。クールにならなければいけない。鼻の奥がつんとする。目を閉じた。少しだけ寝よう。そんなふりだけはしようと思った。例え実際には無理だとしても。

 感傷はあっという間に目玉の表面で溶け、それから夢が見える。もうちょっとはかっこよくなった自分。さんさんと降り注ぐ太陽。夢は闇の中で見るものだと思っていたのに。思い描いていた世界では眩しく、気持悪いほど非現実的で綺麗だった。大丈夫、日差しの中でも、日陰の中でも、これからはきっと上手に生きていける。こんなに金持ちだし、銃だって持ってる。遠ざかっていくホテルのネオンを瞼越しに感じる。車内から雨の匂いが消えていく。枕代わりのリュックサックに抱きついたオリヴィエは、お行儀よくお昼寝をしている子供のように少しだけ微笑んだ。



 ――了――