天井桟敷で逢いましょう 第一話 家の話
天井桟敷で逢いましょう
第1話 家の話
派閥抗争だの遺産争議だの。
そういう世界に生まれてきてしまったのは、ずいぶんと前からわかっていた筈だった。
しかし、だ。
まだ16の身空で、その当事者になるというのは、いくらなんでも早すぎはしないだろうか?
そんな自己弁護をしてやって、おそらくその言い分は少しは正しいのだとは思うけど、今さら言っても何もかも遅かった。
大崎篤、17歳。
いきなりなにもかも失った。
人生初の試練であった。
財閥やらコンツェルンやら、そんなファンタジックですらある存在ではないが、浮世離れしているというのは、否めない。
今まで俺がいた大崎家というのは、日本の経済規模から言えば微々たる存在かもしれないが、とりあえず地元では“大崎”と言えば“あの大崎か”と言われる程度には有名な資産家の家ではある。
この地方の主だった企業の株をかなりの比率で所有し、各都市にはビルだのマンションだのホテルだのが多数。登記簿を漁ってみれば山だの森だの田畑だの海岸だのが、全部あわせれば出来そうなほどにわらわらと。
ようするに知事やら議員やらが冠婚葬祭と選挙前に真っ先に挨拶しにくるような、そんな地方によくある名家の典型的存在である。
俺はそんな家の直系の長男として生まれた。
特に容姿、身体、頭脳に関してコンプレックスを抱く必要のないほどには生まれついた事もあり、この家に生まれる男としては順調な人生を送ってきたと思う。
特に大崎家の資産をここまで大きくしてきた現当主である祖父に可愛がられていた俺は、成人した暁には自他ともに認められる次代の当主として、この家を継ぐ路線が定められていた筈であった。
だから、のんびりと祖父の薦めるままに帝王学―――地方の資産家程度がなにをやら、ではあるが、そこは明治生まれらしい大仰さというものであろう―――とやらに勤しんでいたわけだが、一方で順調なるが故の嫉妬もだいぶ買っていたらしい。その辺りにまったく気づいておらずに油断していたあたり、まだまだ未熟であった。
さて、そんな俺が一気に凋落したのは、ついさきほどである。
1週間前に航空機事故で祖父が死んだ。
それだけである。
喪が開けるもクソもない。大崎家の独裁権力者であった祖父、大崎林一郎の死は、わかりやすくも露骨に御家騒動を引き起こした。
というよりも祖父の一手に握られていた大崎家の資産やら利権やら権利を、今まで祖父に抑えつけられていた者たちが一斉に起き出しては、少しでも多くの遺産にありつこうと食い争っているだけの話だが。
その過程で第一の目標となったのが俺である事は言うまでもない。
祖父の遺書が何故か見付からなかったか、存在しなかったかしたせいで、俺の権利を守ってくれるものは何も存在しなかった。
ほぼ監禁同然に母屋の居間に閉じ込められ、一族総出で説得という名の脅迫を受け続けていた。
さすがに35時間、食事も睡眠も取らされず、入れ替わり立ち代り脅迫・罵声・泣き落とし・哀願・逆切れ・電波・買収・色仕掛けなどのあらゆる手段で、“説得”されれば、俺が耐え切れずに“落ちた”のも無理はないと言ってくれるだろうか? とりあえず排便の欲求に負けて、あらゆる相続の権利や手持ちの財産を放棄する念書にサインをし、実印を押させられたのが、ついさっきである。
とにかくまいった。
さすがに億単位の財産がかかると人間ここまで凄まじい存在となるのか、という実例はさすがに思春期の少年に見せるものじゃない、と思う。
なにしろ誰一人として自分の味方はおらず、亡者の目をして迫ってくる姿は、おそらく後々まで夢に見るトラウマになるだろう。
なによりこたえたのは、俺を生んだらしい父と母という立場の男女についてだ。
俺を責める側の急先鋒として八面六臂の活躍で俺の敵となって活躍する姿は、おそらく一生忘れられまい。
さすがにその描写は勘弁してほしい、思い出すだけで吐きそうだ。
さて、全てを失う書類にサインと捺印をして屋敷の自室に戻った俺が今一番なすべきことはなにか? 今一番の欲求は睡眠にあるが、それはできない。
二度と醒めない公算が大きすぎる。
そう、一刻も早くここを脱出する事だ。
いくら念書にサインしたと言っても、いくらでも裁判などで係争する手段はある。
まだ見付かっていないが祖父の遺書が存在するかもしれないという可能性も彼らは懸念しているだろう。彼らにとっても相続関係がもつれた場合、再び俺を担ぎ出して係争の材料にするというのも、懸念と魅力に満ちた選択肢に違いない。
好むと好まざるにかかわらず、今となっては俺はこの家にとって存在自体が危険なのである。
最良の結果としてもどこかの別荘に見張りつきで蟄居されての飼い殺し。
手っ取り早い手段としては、このまま毒殺でもして、とっとと葬儀でも出してしまう事だろう。警察もまったく被害届もなにも出なければ動かないだろうし、ありがたい事にうちの一族に下手な係わり合いを避けてくれる可能性が大だ。
だが、さすがに祖父の死と遺産係争中では、あまりにあからさま過ぎる。
となると考えられるシナリオとしては、拉致同然に“留学”か“祖父を失った寂しさを紛らわせるため”とかいう理由で海外に連れ出されて、数万円ぐらいで雇われた現地のチンピラどもに段取りよく殺され、“資産家の少年、旅行先で口論の末刺殺”シナリオあたりだろうか?
なんだか、俺自身に差別発言があった末の口論という事になり、したり顔のキャスターに「海外に出る日本人は現地の方々に対する配慮が必要です」などとコメントされかねない勢いだ。
うわ、すごくいやだ。
ともあれ、妄想はここまでにして、少なくともこの日本においても、人間の命は一千万円より安い。
人間数十万の金なら感情に任せて殺すだろうが、一千万円以上かかると計画的に殺すようになってくる。ましてや数十億規模の資産がかかっていれば、ごく簡単に“選択肢”として殺人は浮上してくるものだ。
とりあえず今は俺が全てを放棄した事に浮かれ、今度は身内同士で分け前を争っておおわらわな状況であろう。俺も疲労困憊、神経衰弱な状態なのも確かで、彼らが俺に対して油断しているのも確かだ。
逃げるなら今のうち。そして時間が経過すればするほどリスクは高まる。
というわけで、精神的にも身体的にも疲れきっている自分に鞭打って、今脱出の用意を整えているというわけである。
身軽なほうがいい。
2日分ほどの着替えと、なんとか隠しとおした個人的な資金の通帳。それから様々なデータをぶち込んで封鎖した、誰にも極秘に借りてあったレンタルサーバーのパスやら個人的な人脈の連絡先などを記したメモ。携帯は、今この場でぶち割った。そして……なによりも大事なのは、本物の実印。
明日にでも照会されて、あの念書に推した実印が偽者だとバレたら、まず間違いなく俺の命はないに違いない。これが早急に身を隠さねばならない一番の理由だった。
こんなもんか。
あとは、自室のPCをバラしてHDとメモリを徹底的に破壊。本当はいろいろな個人的な書類やらなにやらも焼却したかったが、そこまでやってる時間はないだろう。
第1話 家の話
派閥抗争だの遺産争議だの。
そういう世界に生まれてきてしまったのは、ずいぶんと前からわかっていた筈だった。
しかし、だ。
まだ16の身空で、その当事者になるというのは、いくらなんでも早すぎはしないだろうか?
そんな自己弁護をしてやって、おそらくその言い分は少しは正しいのだとは思うけど、今さら言っても何もかも遅かった。
大崎篤、17歳。
いきなりなにもかも失った。
人生初の試練であった。
財閥やらコンツェルンやら、そんなファンタジックですらある存在ではないが、浮世離れしているというのは、否めない。
今まで俺がいた大崎家というのは、日本の経済規模から言えば微々たる存在かもしれないが、とりあえず地元では“大崎”と言えば“あの大崎か”と言われる程度には有名な資産家の家ではある。
この地方の主だった企業の株をかなりの比率で所有し、各都市にはビルだのマンションだのホテルだのが多数。登記簿を漁ってみれば山だの森だの田畑だの海岸だのが、全部あわせれば出来そうなほどにわらわらと。
ようするに知事やら議員やらが冠婚葬祭と選挙前に真っ先に挨拶しにくるような、そんな地方によくある名家の典型的存在である。
俺はそんな家の直系の長男として生まれた。
特に容姿、身体、頭脳に関してコンプレックスを抱く必要のないほどには生まれついた事もあり、この家に生まれる男としては順調な人生を送ってきたと思う。
特に大崎家の資産をここまで大きくしてきた現当主である祖父に可愛がられていた俺は、成人した暁には自他ともに認められる次代の当主として、この家を継ぐ路線が定められていた筈であった。
だから、のんびりと祖父の薦めるままに帝王学―――地方の資産家程度がなにをやら、ではあるが、そこは明治生まれらしい大仰さというものであろう―――とやらに勤しんでいたわけだが、一方で順調なるが故の嫉妬もだいぶ買っていたらしい。その辺りにまったく気づいておらずに油断していたあたり、まだまだ未熟であった。
さて、そんな俺が一気に凋落したのは、ついさきほどである。
1週間前に航空機事故で祖父が死んだ。
それだけである。
喪が開けるもクソもない。大崎家の独裁権力者であった祖父、大崎林一郎の死は、わかりやすくも露骨に御家騒動を引き起こした。
というよりも祖父の一手に握られていた大崎家の資産やら利権やら権利を、今まで祖父に抑えつけられていた者たちが一斉に起き出しては、少しでも多くの遺産にありつこうと食い争っているだけの話だが。
その過程で第一の目標となったのが俺である事は言うまでもない。
祖父の遺書が何故か見付からなかったか、存在しなかったかしたせいで、俺の権利を守ってくれるものは何も存在しなかった。
ほぼ監禁同然に母屋の居間に閉じ込められ、一族総出で説得という名の脅迫を受け続けていた。
さすがに35時間、食事も睡眠も取らされず、入れ替わり立ち代り脅迫・罵声・泣き落とし・哀願・逆切れ・電波・買収・色仕掛けなどのあらゆる手段で、“説得”されれば、俺が耐え切れずに“落ちた”のも無理はないと言ってくれるだろうか? とりあえず排便の欲求に負けて、あらゆる相続の権利や手持ちの財産を放棄する念書にサインをし、実印を押させられたのが、ついさっきである。
とにかくまいった。
さすがに億単位の財産がかかると人間ここまで凄まじい存在となるのか、という実例はさすがに思春期の少年に見せるものじゃない、と思う。
なにしろ誰一人として自分の味方はおらず、亡者の目をして迫ってくる姿は、おそらく後々まで夢に見るトラウマになるだろう。
なによりこたえたのは、俺を生んだらしい父と母という立場の男女についてだ。
俺を責める側の急先鋒として八面六臂の活躍で俺の敵となって活躍する姿は、おそらく一生忘れられまい。
さすがにその描写は勘弁してほしい、思い出すだけで吐きそうだ。
さて、全てを失う書類にサインと捺印をして屋敷の自室に戻った俺が今一番なすべきことはなにか? 今一番の欲求は睡眠にあるが、それはできない。
二度と醒めない公算が大きすぎる。
そう、一刻も早くここを脱出する事だ。
いくら念書にサインしたと言っても、いくらでも裁判などで係争する手段はある。
まだ見付かっていないが祖父の遺書が存在するかもしれないという可能性も彼らは懸念しているだろう。彼らにとっても相続関係がもつれた場合、再び俺を担ぎ出して係争の材料にするというのも、懸念と魅力に満ちた選択肢に違いない。
好むと好まざるにかかわらず、今となっては俺はこの家にとって存在自体が危険なのである。
最良の結果としてもどこかの別荘に見張りつきで蟄居されての飼い殺し。
手っ取り早い手段としては、このまま毒殺でもして、とっとと葬儀でも出してしまう事だろう。警察もまったく被害届もなにも出なければ動かないだろうし、ありがたい事にうちの一族に下手な係わり合いを避けてくれる可能性が大だ。
だが、さすがに祖父の死と遺産係争中では、あまりにあからさま過ぎる。
となると考えられるシナリオとしては、拉致同然に“留学”か“祖父を失った寂しさを紛らわせるため”とかいう理由で海外に連れ出されて、数万円ぐらいで雇われた現地のチンピラどもに段取りよく殺され、“資産家の少年、旅行先で口論の末刺殺”シナリオあたりだろうか?
なんだか、俺自身に差別発言があった末の口論という事になり、したり顔のキャスターに「海外に出る日本人は現地の方々に対する配慮が必要です」などとコメントされかねない勢いだ。
うわ、すごくいやだ。
ともあれ、妄想はここまでにして、少なくともこの日本においても、人間の命は一千万円より安い。
人間数十万の金なら感情に任せて殺すだろうが、一千万円以上かかると計画的に殺すようになってくる。ましてや数十億規模の資産がかかっていれば、ごく簡単に“選択肢”として殺人は浮上してくるものだ。
とりあえず今は俺が全てを放棄した事に浮かれ、今度は身内同士で分け前を争っておおわらわな状況であろう。俺も疲労困憊、神経衰弱な状態なのも確かで、彼らが俺に対して油断しているのも確かだ。
逃げるなら今のうち。そして時間が経過すればするほどリスクは高まる。
というわけで、精神的にも身体的にも疲れきっている自分に鞭打って、今脱出の用意を整えているというわけである。
身軽なほうがいい。
2日分ほどの着替えと、なんとか隠しとおした個人的な資金の通帳。それから様々なデータをぶち込んで封鎖した、誰にも極秘に借りてあったレンタルサーバーのパスやら個人的な人脈の連絡先などを記したメモ。携帯は、今この場でぶち割った。そして……なによりも大事なのは、本物の実印。
明日にでも照会されて、あの念書に推した実印が偽者だとバレたら、まず間違いなく俺の命はないに違いない。これが早急に身を隠さねばならない一番の理由だった。
こんなもんか。
あとは、自室のPCをバラしてHDとメモリを徹底的に破壊。本当はいろいろな個人的な書類やらなにやらも焼却したかったが、そこまでやってる時間はないだろう。
作品名:天井桟敷で逢いましょう 第一話 家の話 作家名:大澤良貴