舞うが如く 第七章 7~9
新人たちは、その他のこまかいノウハウなども含めて、
ベテランの工女たちから、糸とりのための
一通りの技術と指使いなどの指導を受けます。
この講習を受けた後に、ようやくひとり立ちとになるのです。
最年長の民子も、ひととおりの講習を受けた後に、
初めての糸取りに挑戦をしました。
ところが、一等台の後側にある大枠の3個
(これに連動する小枠は、全部で12個あります。)を受け持ってみると、
しょっちゅう糸が切れてしまい、思いのほかに泣かさてしまいました。
切れた糸をつなぐ際に、うっかり器械についてる油にさわったりすると、
その糸まで汚れてしまい、商品価値が台無しになってしまいます。
そのたびに指導員からはきつく叱責をされました。
工女たちの月給は、フランス人指導者が、
日本人指導員の意見と評価を参考にしながら、査定をしました。
一等工女から三等工女までと、中廻り(巡回指導員)も、
それぞれランクごとに、おのおのの月給が定められています。
この当時の、中廻りの月給は2円です。
一等工女が1円75銭、二等工女が1円50銭、三等工女は1円と、
この当時の記録に残っています。
当時の歩兵(新兵)の月給が、1円でしたのでそれほど、
安月給と言うわけではありません。
ましてや、技能研修生という立場でありながら、
住居費や光熱費、食費もかからないことなどを勘案すると、
けっこうな高収入とも言えます。
とはいえ、世間慣れしていない箱入り娘たちが、
現金を手にしてしまうと、あとさきも考えずに場内の売店で
目につくものを、色々と購入をしてしまいます。
ツケがきくので、月給の数倍くらいのツケを
貯めてしまう人も出てくる始末です。
場内の売店では、
娘たちの興味をひく、たくさんの物が揃っていました。
帯をはじめとする呉服類、おしろいなどの化粧品、
髪飾りなどの装飾品、その他もろもろの雑貨類などを、
まかない方の妻たちが販売していました。
また、三度の食事も、
発足の当初は、寄宿舎の部屋に戻って済ませていました。
まかない方が各部屋の入り口まで配達をするのです。
朝は、ご飯と味噌汁と漬物で、昼のおかずは、インゲンなど野菜の煮物や、
切り昆布、こんにゃく、やつがしらなどの煮つけたものが中心でした。
夕飯のおかずは、魚の干物などが多かったようです。
当時の上州は、物流が不便で、生の魚はとても入手が困難でした。
したがって、魚は塩引きか干物ばかりです。
しかし仕事のあとは、工女たちもおなかがペコペコでした。
育ち盛りの工女たちは、どんなものでもすべてを美味しく平らげました。
毎月の一日、十五日、二十八日には、お赤飯に鮭の塩引きと決まっていて、
これもまた、とても楽しみにしていたようです。
11月ころになると大食堂が完成して、
自分のお茶碗とお箸を持っていって食事をとるように変わりました。
誰もが先にいって、はやく自分の分を確保したいために、
それはもう、ものすごい勢いで食堂へと殺到しました。
恥も外聞もなく、猛烈な早食いが流行ったとも、
当時の記録に残されています。
これにはさすがに混乱が起きないようにと、役人たちが総出で監視をして、
食堂内の秩序維持につとめたと言う、なんとも凄まじい光景の
笑えないような逸話が、同じく語り継がれています。
作品名:舞うが如く 第七章 7~9 作家名:落合順平