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舞うが如く 第七章 4~6

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 明治政府は、こうした事態を打破するために、
優れた製糸技術を持つフランスやイタリアなどを手本にしました。
ヨーロッパの国々と同様の、大規模な器械を導入した近代的な工場を設置して、
品質の向上と、生産量の拡大をめざしました。


 こうした経緯の中で、1870年(明治3年)、明治政府は
フランス人技師ポール・ブリューナの指導のもとにの、
富岡製糸場の建設に着手をしました。



 当時の富岡付近では、養蚕(ようさん)がとりわけ盛んで、
生糸の原料である繭が大量に確保することができました。
また、工場建設に必要な広い土地もあります。
製糸に必要な水を既存の用水から利用できることや、燃料の石炭が、
近くの高崎で採れることなどから、
この富岡が建設地に決まったといわれています。




 国によって建設がはじまった製糸工場は、
フランスから輸入した繰糸器や蒸気機関などが導入され、
明治5年に完成しました。
大規模な建造物が並ぶ工場の中でも、繭を生糸にする繰糸場は、
長さが140.4メートル、幅12.3メートルもあり、
当時での世界最大規模を誇っていました。
この工場では、生糸の品質改善と生産量の増加ることと供に、
技術指導者を育成するという役割も担っていました。



 東側から入ると、そこ正面が入り口にあたります。
来訪者たちを出迎えるかのように、アーチが1つ架かっていました。


 琴をはじめ、多くの者が生れまて初めて見る光景です。
赤い煉瓦れんが造りの建物に、目を見張りながら案内の者に誘導されて
全員が役所前へと通されました。




 日本側を代表する形で、
場長の尾高、副長の佐伯木や加藤と言った幹部をはじめ、
その他の役人たちが、テーブルに一様に顔をそろえて出迎えてくれました。
簡単なあいさつと、激励の言葉などがそれぞれに済むと、
入れ替わりに宿舎となる、工女奇宿舎の女性取締役が登場をしました。