ゆびきり
夢の値段として考えてみると、莫大なものではない。つまらない映画を観るよりは、リアルだったし、愉しい部分も沢山あったような気がする。あと一度だけ、騙されてみたいような気もした。
上空は薄暗くなっていたが、様々な照明で明るい広場を横切るとき若手の女性歌手はギターをケースに仕舞っていた。
そのとき、携帯に直メールが届いた。あの、美人秘書からだった。中野の小説を褒めているらしいのだが、「アイデンティティー」や「カオス」をはじめ、難解な文学論などでよく使われる外来語ばかりなので、哀しいことにはっきりしたことは判らない。彼女は森鴎外の作品を、最も愛しているのだと述べていた。
中野は考えた。自らが書くことと、他者に読んでもらうことには、基本的に関連はない。書いたものと読まれたものとは別物なのである。読む人それぞれにことばのとらえ方や生まれるイメージは異なる。読まれる度に、その作品はそれぞれの読者の中で変容する。
彼は更に考えた。どれ程多くの読者を獲得したとしても、必ずしも書くことがレベルアップするというものではない。返って逆の結果を生むかも知れない。一旦有名な小説家になってしまえば、書く内容が劣悪になってもその作家の評価が落ちることはないような気がする。「受賞作家」という看板が、劣悪な作品を擁護する。そのような環境の中に於いては、質の向上はないかも知れない。仮に「受賞作家」や「人気作家」になったとしても、残された時間は変わらないのである。その限られた時間の中で、書くことに夢中になること。上を目指すこと。それだけで良いのではないか。