出逢い
凧上げ部とは通称帰宅部。部員数二名、その活動は非公開である。俺は晴れてその三人目の部員になった。
「何してるんだよ」
「見て分かんねぇのか、凧作ってんだよ」
「本当に凧を作ってるんだな」
「当たり前だろ、凧上げ部なんだから」
その恐ろしい活動内容とは、基本的に昼休みや時には授業中部室に集まり雲の数を数え壁にその数を正の字で記録する、女子テニス部の部室を双眼鏡で観察する、小さな凧を作っては他の部活動の邪魔をするなどというもの。俺は転校初日から二人の活動に尽力している。
「そう言えば俊一、英語で解らない所があるんだけど教えてくれない?」
「大助はちゃんと勉強してるんだな」
俊一はさらさらの髪を掻きながら俺に的確な解き方を教えてくれる。最初の頃はいつも正也と一緒にいるせいで気付かなかったが実は凄い奴である。なんと学年成績トップの功績を持ちスポーツも万能で、多少気性が荒い事を除けば完璧な先輩であった。個人的に、それを傍らで削いでいるのは他でもないこの男であると思う。
「またしても俺は歴史的な発明をしてしまった」
そう言って不恰好な凧を振り回しながら不気味な笑みを浮かべる正也。たなびく金色の長髪から覗くその目が、良からぬ事を考えていない日はないだろう。
「本当?それ飛ぶの?」
「そうか大助、飛行に立ち会うのは初めてか」
やがて正也は秋本四号機を俊一の手渡した。本機はこれから仕上げの工程に入るという。
「今までに我が機体は数々の名飛行を記録してきた……」
自慢気に語る正也の横で、その殆どが担任に没収され捕虜となったことをぼそっと呟く俊一。俊一の手直しが入らなければこの四号機も飛ばないのだろうと思った。
「凧上げの行事は本当にあるんだぜ、桜川の土手で毎年やってるんだ」
俺がこの得体の知れない凧上げ部に入部した理由は二ヶ月立った今でもよく分からない。確実に優等生への出世街道を逆走していることも承知している、でも突然新しい環境に放り出されちょっとのんびりしたいと思っていた俺には丁度良い生活だ。
二人が学校でも一目置かれているコンビであるというのはすぐに分かった。その二人と対等に口を聞いて歩いている俺も当然注目されるわけで、おかげで同級生からいじめられることはなかった。
「さぁ、今日の目標は……野球部だ」
正也がそう言った時、自分の眉が動いたのが分かった。日々この屋上から無意識に見下ろしていた野球部が秋本四号の標的に選ばれたのだから。
「野球部?」
「おーよ。しかーし、この戦いは困難を極めるだろうよ。何故ならあの塩カラじじいがいるからな」
歌舞伎役者のような顔で正也はグランドを睨んだ。どうやら因縁があるらしい。
「だったら他を探したら?吹奏楽部とかさ」
「どうした、大助あのじいさんにびびってんのか?」
「そうじゃないけど、せっかく作った四号機が勿体無いと思って。なぁ俊一?」
「確かに生きて帰れる保証はないな、今度こそ名誉の戦死だ」
凧の帆となった書道部から拝借してきた清書用の半紙がパタパタと音を立てた。雨の日も風の日もせっせと練習に励む野球部と鬼と恐れられる監督の前にこの秋本四号が降り立ったらどうなるのか。俺はどこか後ろ髪惹かれ、またどこか爽快な気分になった。桜川中学校の屋上基地から一方的で迷惑な火蓋が切って落とされようとしていた。
せっちゃんとコータは私立の中学へ進学したと聞いた。あの二人ならきっと名バッテリーになって付属の高校で甲子園に行くと思う。幼なじみが活躍していると思うと嬉しいはずなのにとても悔しい気持ちになる。本当は自分も一緒にその舞台に立つはずだったのに、人生何が起こるか分からないものである。
父さんの事故も、それによって変わってしまった母さんも。
「こしょうを積むなんてどうかな」
「大助!名案じゃないか」
ふっと悪巧みに加担した時、すがすがしいけれどどこか空っ風が心に吹きつける。いつも気が付けばフェンスの菱形からのぞくちいさなダイアモンドに目が行っていた。
「俊一って……どこで髪切ってるの?」
もう随分散髪屋には行っていない。おかげで鶏の鶏冠の様になってしまった。
「え?髪かぁ。俺は知り合いに頼んで切ってもらってるよ。この辺りじゃ数えるくらいしか店もないし」
「だいぶ伸びたし、担任もうるさいから切ろうか迷ってるんだけど」
「そうか、大助のトレードマークかと思ってたよ」
「前はね」
「切ってやろうか」
「俊一が?大丈夫かな……も、もうちょっとしてから切るよ、髪型考えてから」
父さんが頭のてっぺんを残して横を切り揃えているのを真似したのは小学生の頃だった。ウルトラ仮面みたいで気に入っていたけれど、中学にもなるとソフトなモヒカン頭なんて時代にも校風にも逆らっている。母さんも切ってくれなくなったし、伸び放題のとさかをそろそろ刈る時が来たのかもしれない。気持ちの整理も含めて。
「ハハハ、四号機は上空よりグランドへ忍び寄り、特殊部隊と湖沼爆弾を解き放つのである!」
その特殊部隊とは、俊一が奇麗に折り紙の端と端を重ねて折っているやっこさん数体の事である。給食センターのおばちゃんから借りてきたという湖沼をナイロン袋に流し込みながら正也はそれを機体に取り付け紐で縛りたぐり寄せる。
「時は来たぞ」
そうして隊長の出動命令を受けた四号機は屋上から離陸していった。