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毒虫少女さみだれ/私に汚い言葉を言って

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PHASE 2 : LIFEFORCE


■ □ ■ □ ■

 めぞん跡地から歩いて十分と少しのところにある寺は比較的大きく、近隣でも名の知れた場所だった。境内は参拝客で溢れかえり、参道に沿って配置された屋台から胃を擽るような香りが流れてくる。無料で配られている甘酒に口を付けながら、五月雨はようやく人の群から外れて人心地ついていた。境内の隅、ちょうど狛犬の影になる部分に隠れるように逃げ込み、はあ──と白い息を吐き出す。予報では大荒れになると言われていた天気も全く落ち着いたもので、時折吹き付ける寒風さえなければ上着を脱いでも過ごせたかもしれない。降り注ぐ陽光は仄かに暖かく、それが境内の喧噪をいや増しているようにも思えた。
 目の前を着物姿の女性達が通り過ぎていく。いっそ自分も着物を着てくれば良かった──場違いではないが、何かに乗り遅れたような気がしてしまう。オレンジのポンチョ風ジャケットにノルディック柄のニットワンピース、黒いレギンス、ベージュのショートブーツという出で立ちで、室内用というわけではないが外出着として相応しいとも思えない。もっと気合いを入れてくれば良かった、と後悔する反面、そもそも外出自体がイレギュラーなのだと自分を慰める。あの姉妹に捕まりさえしなければ、今頃五月雨は炬燵にくるまり駅伝でも見ていただろう。
「──まあ、今更ですけどね」
 衣服をあれこれ買い揃えるのは好きだが、頭に被った洗面桶と腰に吊り下げたクマのぬいぐるみのせいで、服飾のセンスをまともに評価される機会は少ない。自業自得なので文句を言うつもりもないが。いつもは腰紐の先端に引き摺っているぬいぐるみも、さすがに人混みの中では邪魔なので、直接背中に括りつけていた──歩くたびに尻に触れて不快なのだが、まさか捨てていくわけにもいかなかった。我慢すれば済む話でもある。
 厄除けの効果があるという鐘を鳴らすため、本堂前は参拝客で埋め尽くされていた。時間が流れてもほとんど動かない人の波をぼんやりと眺めながら、屋台で買った綿飴を舐める。安っぽい甘味を舌の上で転がしながら、五月雨はもう一人の自分に見下ろされているような心地になった。
 もう一人の自分は大抵いつも攻撃的で、活発だ──いつでも五月雨を攻撃し、罵声を浴びせ、泣き喚く。絶叫にも似た言葉の内容は、五月雨自身への不満もあれば、この世界そのものへの不満もあった。
 人よりも劣る、毒虫として生まれついた境遇を呪う声。
 ──そんなもの、
「呪う程度で何とかなるなら」
 とうの昔に、何とかし尽くしている──呪い尽くしている。
 呪おうが喚こうが、世界は何も変わらなかった。
 晩生内五月雨というちっぽけな人間一人すら、微塵も変わりはしなかった。
 だから──もう一人の五月雨は多分、諦めきれなかった未練のようなものなのだろう。世間に迎合し社会に溶け込もうと懸命に足掻いていた時期の、惨めな残影だ。何より惨めなのは、そうとわかっていて尚未練を振り切れない自分自身なのだろう。
「それこそ、今更ですけどね──」
 呟いて、綿飴に現実逃避の味を求める。
 つまらない空想に耽っている間にも時間は過ぎていく。相変わらず人垣が築かれたままだが、多少なりとも内容に変化はあるようだった。何が面白いのか、丁寧に整列して鐘を鳴らす人の中に、見知った顔を見つけた──とはいえ馴染みであるというわけではなく、本当にただ見て知っているというだけの意味しかない。アパートについ最近越してきたばかりの青年だった。
 引っ越し後の片付けも終わったのか、鐘を鳴らし終えた後も一人でふらふらと境内を歩き回っている。屋台も見て回っているようだが、何故か甘いものばかり選んでいるようだった──ちょうどチョコバナナを囓り始めた辺りでこちらに気付いたらしく、ひらひらと手を振って近付いてくる。いっそ猛ダッシュで逃げ出したらどんな顔をするだろうと考えたが、さすがに実行には移さなかった。どんな顔をするかはわからないが、明日から色々反応に困ることになる。
「──あけましておめでとう。ええと……五月雨ちゃん、だっけ?」
「晩生内五月雨です。そちらは……鍋倉さん、でしたか」
 ──鍋倉義輝。
 黒っぽい服装を着て、手には食べかけのチョコバナナを持っている。いかにも今時の若者といった風体で、人を探しているのか、時折きょろきょろと周囲を見回していた。
「……どなたかお探しですか?」
「え? あ、ああ、弟と一緒に初詣に来てたんだけどさ。ちょっとはぐれちゃって。五月雨ちゃんは、友達とかと来てるのか?」
「僕は友達が一人もいません」
「……えーと、俺は謝った方がいい流れかな? これ?」
「いえ、お気になさらず。それより、弟さんを探さなくてよろしいのですか?」
 尋ねると、義輝は何故か困ったような顔をした。僅かに茶色を帯びた髪を掻き回し、あいつも子供じゃないからな、と前置きしてから、
「──彼女と待ち合わせしてたらしくて。多分、そっち見つけたから、一人で行っちゃったんだろ」
「……僕が謝る流れでしょうか」
「あー、いや、やめてくれ。ここで謝られたら、それこそ死にたくなる」
「そうですか。じゃあ謝りません」
「そこまではっきり言われると、何だかこっちが損してるような気になるなあ」
 言われたところで反応のしようもない。
 そうこうしている間にも群衆はその数を増し、五月雨達が身を隠す狛犬の方にまで流れ込んできた。特に勿体つけるでもなくチョコバナナを食べきった義輝を連れて、五月雨は人気の少ない方を目指して進んでいく。裏門付近まで来てようやく落ち着ける場所を発見し、二人で連れ添って身を潜めた。悪事を働いているわけでもないのだが、どうしようもなく気まずいのは確かだ。正月を無為に過ごしているというだけで人間失格のような気がしているところに、ほぼ初対面の青年を連れている──無言を押し通すのも気が引けるのだが、かといって手頃な話題も見つからない。
 それこそ天気の話でも振ろうかと本気で考え始めた頃、沈黙に耐えきれなくなったのか、義輝の方から「あのさ」と口火を切ってきた。
「──五月雨ちゃんてさ、ここに住んで長いんだよな?」
「まあ、古参組ではありますが。それが何か?」
「いや……あの、俺の隣の部屋なんだけどさ。104号室の……あの、メタボっぽいオッサンがいるじゃん」
「ああ──」
 ──佐佐木原さんですね。
 言って、ろくに会話したこともない中年男性の顔を思い浮かべる──記憶はひどく曖昧で、まともな像を結ぶことはなかったが。全体的に丸い体格をしている。性格の方は丸いどころか、かなり取っつきにくい手合いの人間のようだった。もっともそれを言ったら五月雨自身相当に取っつきにくいので、人のことを言えたものではないのだが。
「あの人がどうかなさいましたか?」
「いや──何て言うか、悪口とかじゃないんだけどさ。あの人って……何か、こう、変わってるよな? 夜中、なんかわかんないけどゴニョゴニョなんか言ったりしてさ」
「夜中の件は、僕は二階なのでよくわかりませんが……変わった方だとは思いますよ。高校出たばっかりぐらいの女の子と同棲してますし」
「え!? あのオッサンそんなモテる人なの!?」
「しかもその子は部屋ではいつも全裸です」