舞うが如く 第六章 13~16
「ご老体には、なにが見えまするか。」
琴が、老農の瞳をまっすぐに見つめます。
いつものと同じように、老人が細い目をさらに細めて琴に笑顔を見せました。
「雑草に、遠慮することはありません。
路傍にある草を踏まずに歩けるのならば、それに越したことはありません。
嫌でも、踏まなければ前に進めないときも又、あるようです。
前に行きたいのなら、踏みつけるしかありません、
踏むことを躊躇するのなら、時節に逆らうことにもなるでしょう。
誰が雑草であるかは、めいめいの価値観の違いで異なります。
世の中が大きく変わり、その仕組みが生まれ変わろうとすればするほど、
嵐も発生して、激しい軋(きし)みも生まれます。
百姓は、昔も今も、
踏まれたままに生きてきた。
たまに、頭をもちあげることもあるが、
たいていは、無残に踏みにじられて、また話が終わる。
さてさて・・・・
今回は、どうなることになるのやら。」
琴が腕を組みました。
焦点の定まらない目線のまま、
遥かに続く、松ヶ丘の桑畑をぼんやりと見降ろしています。
老人が腰に手を置いて、のっそりと立ちあがります。
「噂をすれば、なんとやらだ。
今度ははるかに、
良太の飛んでくる様子が見て取れる。
あの様子では、また村でひと悶着がはじまったようだな。
やれやれ今日は、忙しいことだ。」
先日会ったばかりの、良太と言う青年が
巨体を揺すって、坂道を猛然と駆けあがってくる様子が見えました。
血相を変えて疾走するという言葉がぴったりで、
ただ事ではない事態は、到着する前から歴然に見て取れました。
「爺っ、
逮捕された者たちを奪還するために、
決起する決議が回ってきたぞ~!。
酒田の監獄を包囲するために、すべての者たちが
至急集まれと、ふれが出た!」
「村でも、農民たちが騒ぎはじめたようですなぁ。
そちらの開墾の士族たちにも、
すでに、出陣の指令が届いたかもしれません。
いずれにしても、琴ども。
あなた様は、自分自身を信じて凛(りん)として構えなされ。
案ずることなどはありません。
雨が降ろうが、槍が降ろうが
身じろぎもせずに、自分の決めた道を貫き歩いてくだされ。」
どれと、腰をあげた老農が
もう一度、優しい目で琴をふり返ります。
「ほうれ、
陸稲が、ずいぶんと元気に育ち始めました。
この種をさらなる荒れ地に播いて、
2代、3代と続ければ、水の乏しい陸地でも育つ
陸稲(おかぼ)米がやがて完成するでしょう。
しかし、それを見ることができるのは、
おそらくあなたや、良太の時代のことになると思います。
この種は、まだまだ新しい環境で育つほどに力をたくわえてはいませぬ。
新しいものを育てるあげるということは、
途方もなく長い時間と、試練の嵐もまた必要となる。。
時には我が意に逆らって、予期せぬ嵐に巻き込まれるかもしれませんが、
それもまた、自然のなりゆきのひとつですぞ。
結論を急ぎ過ぎてはいけません。
お若いかたがた。」
立ちつくしたまま見送る琴をしり目に、老農が立ち去ります。
良太が息を切らせて駆けあがってくる坂道を、まがった腰に両手を添えながら、
急ぐこともなくのっそりと下り始めました。
作品名:舞うが如く 第六章 13~16 作家名:落合順平