In der Stadt von einer stillen
「…まだ名乗ってもいなかったな。アメジスト・グローム、闇精霊だ」
その瞬間、留衣は更に目を見開いて完全に動きを止めた。俺は彼女に何が起こっているのかわからず、眉を潜めた。彼女はわなないた唇から、微かに声を漏らした。
「…――嘘…、貴方が…、貴方が…?」
「…お前の方こそ、俺の事を知っていたのか?」
光精霊の聖地、カルサイトならまだしも、人間界、それも東国の人間に俺の存在を知っている人物が居るとは思ってもみなかった。一体何がどういうきっかけでそうなっているのか、思考を巡らせている間も、留衣はそのままぺたりと座り込んで瞳いっぱいに涙を浮かべた。まさか彼女が探していたのは、自分だったのだろうか?
「…良かった、…会えないかと、思った…」
「…そんなになってまで、どうして俺の所に…?」
「貴方に、あれを渡す為に…」
奪われたネックレスの事だろう。彼女の過去を見ても、自分と関係があるようには見えなかった。思い当たる節は何もないが、アメジスト・グロームという闇精霊は俺の他に考えられない、人違いではないだろう。
「お喋りはその辺にして、そろそろ行かないと、お前の主がお待ちかねだぞ」
「あ、あぁ…」
あれこれと思い巡らせていると、エルファが牢の柵を槍で鳴らした。それで気付いて俺は何気なく留衣の方を振り返る。
「留衣、立てるか?」
「え、えぇ…」
「お前、そんなに怪我を負ってる女の子にそれはないだろう。これだから闇精霊は…」
呆れたようにそう言って、エルファは出ようとしていた俺を押し切って独房の中に入ってきた。彼が持っていた槍を無言で押し付けるように持たされる。癪だったが、言われて初めて自分の無神経さを叱咤した。彼女の力に気を取られて、彼女が普通の人間の女であることも失念しかけていた。地上に居た時から、彼女はもう何度も無理をしていたのをわかっていたのにも関わらず、気を遣ってやれなかった。エルファは座り込んでしまって力の入らない様子でいた留衣の肩をそっと抱え、傷だらけの腕に触れる。
「混沌の中、傷付く者々の安寧を祈らん…スェイル――…」
エルファが目を閉じて静かに唱えると、二人は淡い蒼色の光にと印に包まれて、水の気配が一気に増した。刹那、留衣の傷が塞がっていく。見た目以上に、彼女の疲労も癒されているだろう。その感覚に、留衣は驚いたようにエルファを見上げた。
「…まさか貴方は、水精霊…?」
その青銀の髪で一目瞭然だが、留衣は小さく聞いた。エルファは余裕の表情で微笑む。
俺はその二人から目を逸らしてうつむいた。出来れば俺とて、そうしてやりたかった。俺には、剣を振るうことしか出来ない。俺には…。
泉に止めどなくこぼれ落ちる光、胸に大きく空いた穴。次第に薄れていく彼女の体。…もう何度、自分が闇でなければ良かったと、願っただろうか。
作品名:In der Stadt von einer stillen 作家名:一綺