In der Stadt von einer stillen
1. Der Abend - 夕刻の追憶 -
遠くで叫び声が聴こえた。喉が絞まるように熱い。頬に冷たいものが流れたが、その感覚もぼんやりと鈍く、遠くて、そこで初めて自分の意識が現実に覚醒しきれていない事に気付いた。
「……っ!!」
強制的に、目の前の映像から意識を切り離す。視界は一瞬で夕焼け色に染まった天井に切り替わった。いつも通り垂れ下がったシャンデリアは火が灯されることを待ちわびるかのように静かに輝いていた。
「…またか」
幾度となく見る夢だった。俺の罪を許さぬと、まるで神が延々繰り返し見せる過去。彼女が消える感触も、あの息苦しさも、ずっと残って消えない。
喉が焼けたように痛い。恐らく、うなされて叫んでいたのは自分自身だ。しばらくぼんやりと天井を眺め、ここではない時間に思考を張り巡らせながら、一呼吸置いてゆっくりと起き上がる。すると、外からドアのノック音が聴こえた。
「…アメジスト、入りますよ?」
いつも穏やかなその声音が、少し怪訝そうに問うて、答えを待たずにドアが開いた。
「起きていたのですか」
「…シウア」
ドアの隙間から長い緑銀の髪を覗かせてから、彼は次に同色の眼をこちらに向けた。俺が起きているとわかって、ゆっくり部屋の中に入って扉を閉める。
「大丈夫ですか?酷くうなされていたようですが…」
「いつもの事だ」
やはり外まで聴こえていたのか。ため息混じりに答えた俺の側に寄り、シウアは本当に心配そうな表情で俺の顔をまじまじと見た。俺もつられて彼をじっと見上げる。緑銀の瞳が、琥珀色の夕焼けを映していた。綺麗というのは、こういうことを言うのだろう。
「…アザレアさんの事ですね」
そう言いながら彼は、俺の顔に手を伸ばし、瞳から流れたままの水滴を拭った。気付いた時には遅かった。
「……っ!」
俺は気恥ずかしくなって彼から顔を逸らした。見た夢が夢とは言え、泣いていただなんて。シウアはそんな俺を見ていつものように微笑んだ。
彼は罪に溺れた俺に安息を与えてくれた存在。従属の契約を交わした主にあたる者だ。だが彼は一度も俺を使役させたり、権力を行使したりすることはなかった。こんなに自由に穏やかに、生きていいものかと思うくらい、俺は初めて平穏に過ごす時間を知った。
いや、俺には彼らに出会うより前の記憶がないに等しいから、初めてかどうかはわからないが、気性の荒い闇精霊が棲まうテクタイト<闇の国>で、こんな時間があったとはとても思えない。
「着替えを持って来ました。今日はレティカさんと約束があるのでしょう?」
「…あ、そうだった。…ありがとう」
差し出された服を受け取って、俺は彼を一瞥した。もう一度言うが、彼は俺の主だ。召使いでも世話係でもない。
「…向いてないな、お前」
「何がです?」
主が、と言おうと思ってやめた。元々この契約自体、俺が食い下がって頼んだことだ。彼は何か、誰かを従わせるつもりは毛頭なかった。それは今も変わらないのだろう。
精霊王が一目置き、精霊界を制しても不思議ではない力をその身に宿しながらも、彼はこうしてセラフィナ、精霊界の片隅でひっそりと暮らしている。押し黙るように、息を殺すように、その力を自分の内側で打ち消しながら。
「…何でもない」
「え?一体何がです?洗濯はもう慣れたものだと自負していましたが…」
言葉をつぐんだ俺に、シウアは考え込みながら軽く顎に手を当てて、ぼそりとそう呟いた。
「いや、洗濯じゃなくて…」
流石の俺も、その力と彼のギャップに笑いを堪えられなかった。
作品名:In der Stadt von einer stillen 作家名:一綺