掌編集【Silver Bullet】
ぼぅっとした頭を抱えて、布団から起きる。横には抱き枕(仮)ちゃんが寝かされている。これは、Mの仕業か。
何か夢を見ていたようで、何にも覚えていない。まあ、夢とは大抵そういうものだ。ここ数日見ていた夢も一緒に忘れてしまったようで、妙に頭がすっきりしている。
私は久しぶりに気持ちよい寝起きとなった為、上機嫌で着替える。まるでここ数日は何かに取り憑かれたような気分だったが、眠かった所為でよく覚えていない。
大学に向かう道中、博物館の割引券をチラシ配りの若者から頂く。どうせ今日は暇だ。行ってみようと思い、割引券をポケットの中に突っ込む。
――授業が終わり、私は学食に立ち寄った後に、件の博物館に足を運んだ。
博物館はそこそこの賑わいであった。特に今回はある種の展覧会の類だったようで、それ目当てなのか客の入りも上々である。
展覧会の内容は、『海の哺乳類展』だ。海の哺乳類の剥製や骨格を中心に展覧しており、目玉は、『クジラの全身骨格』だった。
例のクジラの骨格を見た時、ふと海の底に横たわるくじらの姿が脳裏を過ぎる。どこで見たのか分からないが、妙に生々しく、リアリティの強い想像だった。疲れた私は休憩所へと足を運び、飲み物を口にする。
「こんちは」
休憩所のベンチに腰掛けた時、同じタイミングで女の子が腰掛けた。小学生ほどの女の子だ。挨拶は、その女の子がしたものだった。
「こんにちは」
挨拶をされたので、挨拶で返す。女の子はその返答に満足したのか、その手に持っていた缶コーヒーのブルタブに爪を立てる。
……ブラックだと。妙に渋いぞ、この子。
「クジラの全身骨格、凄かったのぅ。アレはなんていうクジラなのかの?」
喋り方も妙に渋いぞ。渋いというか老いてるというか。声だけは小学生のそれなのに、言葉遣いが不釣合いだった。
「ミンククジラだって」
「なんだ。シロナガスクジラかと思ったのにのぉ」
「アレはあんなに小さくはないよ」
しかし、さっき見た海の底のクジラはミンククジラ以上の大きさだった。多分マッコウか、それ以上だろう。
「それに、シロナガスクジラの全身骨格標本なんて、日本じゃ下関の海響館と太地町とくじらの博物館くらいしか展示してないよ」
確か、くじらの博物館に関しては複製だったような気がする。海響館の方は本物だとか。シロナガスクジラに関しては、日本で展示しているのはこの二箇所だけだ。
「そうか。今度かずちゃんに連れてって貰おうかのぅ」
かずちゃんとやらは大変だ。この街から海峡館やくじらの博物館まで行くのにいくら使うことか。それはもう旅行だ。
「思ったのじゃけれども、あーいうトコロに展示されるのって、どんな気分なんじゃろなぁ」
それは、どういう感覚なのだろうか。私がその立場に立ったとしたら、どう思うのだろうか。
「――まあでも、誰もいない深海よりはマシだと思うな」
ふと、そんな言葉が零れ出た。
一人でゆっくり眠りたいのか、それとも騒がしい場所で眠るのか、どちらが良いのか、それは本人にしか分からない。だけれど、私は深海よりは良いと思った。
女の子はその答えに満足したのか、会話はここで終わりと言わんばかりにベンチから立ち上がる。その小さな白い手から放たれたコーヒーの缶は、綺麗に弧を描いてゴミ箱に吸い込まれた。シュートが上手くいったのが嬉しかったのか得意げな顔で、迎えに来たかずちゃんとやらのところに向かっていった。そっちの男の子も小さくて、まるでノミの夫婦というか、もう年子の兄弟姉妹の類だ。
さて、私も帰ろうか。とりあえずは、部屋でゴロゴロする為に。今夜も奴は姿を現すだろうから、食事の準備も怠らずに――。
作品名:掌編集【Silver Bullet】 作家名:最中の中