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舞うが如く 第六章 7~9

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 明治2年の大飢饉を受けて、同年の10月22日、
最上川の北方の三郷、荒瀬・平田・遊佐の農民たちが、
「天狗党」を組織しました。
村ごとに資金を集めながら、酒田県に対して雑税の廃止を求め、
さらに、肝煎・大組頭・大庄屋などにかかわる諸費用の免除と、
税制にかかわる諸帳簿の公開などを求めました。



 このほかにも、荒瀬や遊佐の地区では、
戊辰戦争のときに供出した軍掛物、夜具や蚊帳、枕などの返還も求め、
平田では、年貢の日延べと、石納代の減免(三分の二)
なども要求をしました。


 これら一連の庄内での騒動が「天狗騒動」と呼ばれています。

 また、天狗騒動が広がった同じ時期に、
大泉藩治下でも、藩の会津転封寸志金や、庄内復帰に伴う
70万両の献金のための寸志金などをきっかけに従来から年貢の上納などで
苦しんできた農民たちが、各地で村役人たちを突き上げました。




 旧庄内藩による、当時の年貢はきわめて過酷な物です。
収穫の半分を本年貢としていましたが、さらに残った収穫のうち
7~8割を雑税が占めるという構成でした。



 こうなると残りは、元の収穫の1~2割程度結果になってしまいます。
これでは始終、一揆が起きても不思議ではないほどの状態ですが、
ここに、親藩としての裏技が存在しました。


「縄伸び」と呼ばれる測量方法です。
検地の際、測量の単位である紐を長めにすることで、
測量値よりも、実際の畑の面積を広く確保する手法でした。




 そのおおくは、藩に申請していた
田んぼの面積に対して成されたものでしたが、実際には、
その約2倍程度の収穫を、農民たちは確保していたようでした。
さらには、藩としても縄伸び分について細かく言わない、
という不文律もありました。


 しかし、極めて重いこの重税が、
やがて農民たちを結束させることになりました。
それが今日の近代史にも残っている、
自然発生的な自由民権運動と言われた「ワッパ騒動」の発生でした。
この騒動で逮捕された100名近い指導者たちの奪還のために、
決起した農民、1万数千人が酒田の監獄に押し寄せるという
大事件にまで発展することになるのです。


(10)へつづく