LITTLE 第一部
それは二階の一番奥の部屋で、かつてパパが使っていた書斎だった。
私のパパは仕事の都合で、今は海外に単身赴任中だ。
だから今、この部屋は誰も使っていない。
壁際に、ぎっしりと難しい本が詰まった棚が一つ。
窓際に置かれた殺風景な机と、その隣に位置する一段ベット。
これらは全て、かつてパパが使っていた物だ。
「この部屋は好きに使ってくれて構わないからね。棚の本も読んで良いし」
麗太君は頷き、一段ベットの上に弾みを確かめる様に座った。
そんな光景を見たママは、安心した様に部屋を出てしまう。
一段ベットに座る麗太君をそのままにして、私も部屋を出た。
「ママ、どうして麗太君の部屋をパパの書斎に選んだの? まだ空いてる部屋が一つあるでしょ?」
ママが私の方を向く。
「あれで良いのよ。あの部屋に誰かがいてくれる。あの部屋から物音がする。それだけで、パパがいた時の事を思い出せるの」
パパが単身赴任をして、まだ一年も経っていないというのに、どうしてママは、こんな事を言うのだろう。
これでは、まるでパパがもう帰って来ないみたいじゃないか。
「パパは……帰って来るんだよね?」
恐る恐る訊く私に、ママはからかい気味に笑う。
「馬鹿ね。パパは只の単身赴任よ。仕事の都合によっては、すぐに帰って来るわよ」
私の額に軽くデコピンをして、その痕にキスをした。
「はぁ、う……」
つい、そんな声を上げてしまった。
額がむずむずしていて……何と言ったら良いのだろう……よく分からないが、少しだけ気持ち良い。
「パパの事は、あなたが気にする事じゃないわ。まず麗太君の事を考えなさいね」
「……うん」
頭に霧がかかった様な感覚になり、少しだけボーっとしてしまった。
「二人とも、ご飯よ!」
夕日が沈み切った七時頃、ママが一階から私と麗太君を呼んだ。
私が部屋から出ると同時に、彼も部屋から出て来た。
一瞬だけ目が合い、すぐに反らした。
なんとなく、彼の事を直視する事が出来なかったのだ。
リビングでは、ママがテーブルに夕飯と数枚の皿を置いていた。
テーブルの上に置かれた夕飯を見る。
今日は野菜炒めだ。
あと、いつも通り茶碗に盛られたご飯と味噌汁が置かれている。
私とママはいつもの様に、向かい合って椅子に座った。
「麗太君は、ここよ」
ママが隣の椅子を引いて、麗太君を招く。
彼は頷き椅子に座った。
私、ママ、麗太君、全部で合わせて三つの椅子。
麗太君が座っている椅子は、かつてパパが座っていた物だ。
この家に、確かにパパがいたという証拠が、麗太君という存在によって埋められていく。
ママを事故で亡くしてしまい、更には声まで失ってしまった麗太君。
不幸で、可哀想な子。
彼を見る度に、そう思う。
しかし、私のパパの存在と摩り替わる様にして、今ここにいる麗太君。
いつまで続くか分からない同居生活を共にする同居人としては、あまり好きになれなかった。
テレビを点けると、ポケモンがやっていた。
私は、この番組を毎週見ている。
ママには「もう、五年生なんだから」と、よく茶化されるていたけれど、最近ではそれもなくなった。
ママ自身も、私と一緒に毎週見ているから、それが決まりになっているのだろう。
小皿に野菜炒めを盛り、テレビを見ながらご飯を食べる。
いつもと同じ光景。
ただ、ママの隣に麗太君がいなければ。
なんとなく、麗太君が気になってしまう。
もう小学五年生だというのに、ポケモンなんて見てる私を、内心では嘲笑しているのかもしれない。
喋る事が出来ないから、その事を伝えようとしないだけ。
勝手な想像をしただけで、勝手に頬が熱くなる。
まったく、私は何を考えているのだろう。
彼の事など気にせず、いつも通りにご飯を食べよう。
そう思っていた矢先、ママが麗太君に話し掛ける。
「うちのご飯、お口に合うかな? 野菜炒めとかは、わりと自信作なんだけど。おいしい?」
ゆっくりと、麗太君は頷く。
「そう! 良かったぁ! ご飯のおかわり、いっぱいあるからね」
そんな遣り取りを前に、私はテレビに視線を集中させた。
食事が終わった後、ママは麗太君をリビングへ呼び出した。
きっと、麗太君のママに関する事を話すのだろう。
私はママに言われ、その場を外した。
一度は部屋に戻ったものの、どうしてもリビング内での出来事が気になってしまってしょうがない。
少しだけ。
そう思い、私は擦り足で階段を降り、リビングのドアのすぐ横に立った。
ママの声が聞こえて来る。
「あなたのママに関しては、私もとってもショックを受けたわ。勿論、麗太君。あなたもそうなのよね」
数秒の沈黙が下り、再び声が聞こえて来る。
「落ち着いて、聞いてちょうだい。今日、あなたのママが亡くなったわ」
その知らせと同時に、椅子やテーブルをバンバンと叩く音がした。
きっと、麗太君が取り乱しているのだろう。
当然だ。
隣の家に預けられて、その日の晩にママの死を知ってしまうなんて……残酷過ぎる。
やがて、椅子やテーブルを叩く音が止んだ。
「辛いのは麗太君だけじゃないの! 私も辛いのよ。でも、過ぎた事はどうにもならない。だから……」
麗太君を宥める為の勢い付いた声は、やがて弱々しい泣き声の様なものに変わった。
「だから、あなたはこれからの事を考えるの。過ぎた事は……どうにもならないんだから……」
ママと麗太君は、このドアの向こうで泣いている。
麗太君のママを、親しい仲と捉える事が出来ず、あの二人と共に悲しむ事が出来ない自分が、嫌でしょうがなかった。
部屋に戻り、ベットに飛び込み枕に顔を埋めた。
なぜか、麗太君に関する悩みが次々に浮かんでくる。
私は、これから麗太君にどう接していけばいいんだろう。
麗太君と、どうやって会話をすればいいんだろう。
これから麗太君は、私を頼れる同居人として受け入れてくれるだろうか。
「あー、もう! どうして、こんなにモヤモヤするの!?」
部屋の中で、一人で叫んでみても何も変わらない。
麗太君と二人で話をしないと。
ふと、階段を上がる足音が聞こえた。
階段を上がり切ったその足音は、一番奥の部屋へ向かって行った。
この足音は、麗太君だ。
その事を確信するなり、私は先程のメモ用紙の束とシャーペンを持って、彼の部屋へ向かった。
廊下の一番奥の部屋の前で、呼吸を整える。
「よし!」と小声で言い、ドアをノックした。
「入るよ」
ドアノブを引いたが開かない。
部屋に鍵はない筈だ。
おそらく、麗太君がドアを押さえているのだろう。
「麗太君……」
私には、彼の名前を呼ぶ事しか出来ない。
彼自身が、ドアを押さえて私を拒絶しているのだから。
きっと、こういう時は怒ってはいけないのだ。
なんとなく、そう直感した。
一回だけ呼吸を整えて、再び言葉を発する。
「ねえ、そうやってるだけじゃ何も変わらないんだよ? 確かに、麗太君のママの事は辛いと思う。でも、このままじゃ何も変わらないよ……」
私の言葉に、彼は物音一つ返さない。
落ち着いて。
作品名:LITTLE 第一部 作家名:世捨て作家