HOPE 第四部
True episode 烏丸綾人 後篇1
俺が彼女と出会ったのは、中学二年生の夏休み直前の事だった。
「転校生が来るらしいよ」
「こんな時期に?」
教室では、朝からその話題で持ち切りだった。
「なあ、綾人。転校生は女の子らしいぜ」
俺の机に乗るなり、蓮はそんな事を言って来た。
「どうでも良い。まだ知り合ってもいない女の話なんかで、盛り上がってんじゃねえよ」
「はいはい、分かったよ。お前は女になんて興味ねえよな。野球一筋のスポーツバカなんだから。でも、そんなんじゃあ、彼女とか出来ないぜ?」
「だから、そんなの興味ないって」
教室のドアが開き、担任が入って来る。
「お前等、席に着け」
騒がしかった教室が静まり、皆が席に着く。
「今日は時期外れだが転校生が来ている。さあ、入って来なさい」
ドアが開き、一人の少女が入って来る。
同時に、クラスメイト全員の視線が彼女に集中した。
腰まで伸びた長く綺麗な髪や、細くて白い体。
彼女の印象に対して、皆がこそこそと話し始める。
「凄い綺麗な髪。手入れとか、どうしてるんだろう」
「県外? どの辺だろう」
「やべぇ、めちゃくちゃタイプなんだけど」
クラスメイト達の反応に動揺したのか、彼女は俯いてしまう。
知りもしない連中の前に立たされて「自己紹介しろ」だなんて、転校というのは残酷な物だ。
最も俺だったら、適当に自己紹介してさっさと席に座る所だけど、動揺してしまった彼女にとっては、そうもいかないようだ。
「み、宮久保沙耶子……です。……えぇっと……あの……」
察したのか、担任は黒板に彼女の名前を書き、代わりに喋り出す。
「夏休み直前で時期は外れているが、家の事情で県外の学校から来たそうだ。皆、仲良くしてやるんだぞ」
担任は辺りを見回し、俺の隣の窓辺に位置する空席を指差す。
「宮久保の席は一番後ろのあそこだ。分からない事があったら、隣の烏丸に聞きなさい」
勝手な事を……。
宮久保は席に座ると、少しだけ俺を見て視線が合うと肩をビクリと揺らし、前を向いてしまった。
隣である俺に、何かを言わなければいけない。
そう思ったが、話し出す切っ掛けを見つけられずにいる、といった所だろうか。
俺から何か言うべきか……。
『分からない事があったら俺に聞け』
ベタ過ぎないか?
いや、それが普通か。
「なあ」
話し掛けようとした瞬間、校舎にチャイムの音が鳴り響く。
結局、話し掛ける事も出来ずに朝のホームルームを終了した。
休み時間になるなり、数人の男女が宮久保の席を囲っていた。
「ねえ、県外ってどこから来たの?」
「その髪綺麗だよねぇ。手入れとかどうしてるの?」
一斉に質問をした為、宮久保は困ってしまっているようだ。
彼女は助けを求める様に、俺の方に少しだけ視線を移す。
ただ隣というだけなのに、迷惑な話だ。
俺は立ち上がり、その場から逃げる様に蓮の席へ向かった。
教室の窓から差し込む陽の光は、昼に近付くにつれて強さを増していた。
エアコンや扇風機の様な空調設備も取り付けられていない為、とても蒸し暑い。
そんな教室で、皆は必死に黒板に書かれた内容をノートに書き写している。
俺は一通りを書き終え、ノートの上にシャーペンを転がした。
意味もなくシャーペンを転がしていると、隣から妙に苦しそうな声が聞こえて来る。
何事かと思い振り向いてみると、宮久保は苦しそうに顔を火照らせながらも、必死に黒板の文字をノートに書き写そうとしていた。
見るからに、授業どころではなさそうだ。
しかし、転校初日とは気の毒に。
辺りを見る限り、今の宮久保の状態に気付いているのは俺しかいないようだ。
気付かない振りをするのも……気分が悪いし……。
とりあえず先生を呼ぶか。
そう思った時だ。
彼女の体が傾き、椅子から落ちる。
俺は咄嗟に自分の椅子を蹴り出し、彼女の体を受け止めた。
それに反応して、皆が俺を見るなり唖然とする。
前で板書をしていた教師も驚いたせいか、持っていたチョークを床に落としてしまっていた。
「烏丸、どうしたんだ?」
「え? あぁの……えっと、宮久保さんが倒れたんです。この暑さですから……まあ、しょうがないと思いますよ!」
俺の口調はかなり慌てていた。
「じゃあ、宮久保を保健室に」
「あ、はい! 連れて行きます!」
彼女の体を持ち上げ、肩に抱える。
態勢を安定させ、俺は保健室まで走って行った。
保健室の先生は、宮久保をベットの上に寝かせた。
「ただの熱中症ね」
「そうですか。……良かった」
保健室は空調が完備されていて、教室とは違いとても涼しい。
ここにいれば、彼女も大丈夫だろう。
「それにしても、ビックリしたわよ」
「何がですか?」
「だって、彼女を自分の肩に担いでるんですもの」
いったい周りからは、どんな風に見えていたのだろう。
そう思うと、教室へ帰るのが億劫になってきた。
「すみません。さっきは、無我夢中で……」
「まあ、いいわ。授業も終わる時間だし、そろそろ教室へ戻りなさい。彼女の事は私に任せて」
「はい、お願いします」
保健室から出ると、夏場の熱気が一気に俺の体を包んだ。
「なあ、あの子と何かあったんだろ?」
教室に帰って来て、それと同じ質問をされたのは、これで何度目だろう。
他の連中も先程の事が気になっているらしく、さっきから同じ事の質問責めだ。
「さっきから他の奴にも言ってるけど、何もないからな」
蓮は不敵に笑う。
「おいおい、隠すなよ。ていうか、女の子を肩に担ぐのって男として邪道じゃね? 宮久保のパンツ見えそうになってたぞ。そんでもって、宮久保を担ぐお前を見て、皆が顔真っ赤にしてやんの」
「それは、拙かったかもな……」
実際にスカートの中が見えていたのかは、知らないが……。
根も葉もない噂を発てられて、肩身の狭い思いだけはしたくはない。
「妙な噂だけは発てるなよ」
蓮はニカニカと笑う。
本当に分かっているのだろうか。
昼休みになると、俺は流されるがままに、宮久保の分の給食を運ぶ事になった。
「どうして俺なんだ?」
「だって、宮久保さんと一番仲良いのは烏丸君じゃん」
そんな理由で、宮久保の分の給食が乗ったトレイを笑顔で押し付けられた。
まったく、本当に良い迷惑だ。
保健室のドアを軽くノックして、中に入る。
先生はいない様だ。
ベットのカーテンが閉まっている事を察するに、宮久保が寝ているのだろう。
とりあえず、近場の机にトレイを置いた。
さて、やる事はやった。
教室へ戻ろう。
そう思った時だ。
カーテンが開き、中から宮久保が出て来た。
驚いた様な表情を浮かべ、俺を見るなり彼女は目を反らす。
どうにも話しづらいな。
「もう大丈夫なのか?」
「……大丈夫」
「そうか。お前の分の給食を持って来たんだけど、食えるか?」
「……少しだけなら」
宮久保は椅子に座り、箸に少量のご飯を摘まみ、ゆっくりと食べ始める。
給食は届けたし、もう教室に戻っても大丈夫だろう。
「じゃあ、俺は教室に戻るよ」
そう言い掛けた時、彼女の箸は止まっていた。
見ると、宮久保は俯き涙を浮かべている。