HOPE 第三部
「由佳は……ずっと家にいるわ。あの日以来、由佳は部屋に籠りっぱなし」
私のせいなのだろうか。
しかし、彼女が原因で、私はバスケが出来なくなった。
それを考えると、当然の報いだと思えてしまう。
琴峰は低い声で、何かをぶつぶつと言い始める。
「……全部……全部、あなたのせいよ。あなたのせいで、由佳は! ねえ、これを見てよ!」
そう言って、自分の左腕を私に突き出してくる。
そこには、幾つもの痣があった。
「由佳にやられたのよ! 最近はなくなって来たけど、あの日から、由佳は私に暴力を振るう様になったのよ! それも全部、あなたのせいよ! クラスの問題子をどうにかする!? そんな事、二の次よ! 由佳の事を忘れて日々を過ごしているあなたが許せなかったのよ!」
そんな事はない。
あの日、由佳先輩との一件を忘れた事など、一度もない。
きっと、これからも忘れる事はないと思う。
琴峰は言いたい事を言い切ったのか、肩で息をしている。
やがて、彼女の目が潤む。
彼女なりに辛かったのかもしれない。
「先生……もし、良ければ……今度、琴峰先輩に会わせて下さい。私なら、本人なら何かが変わると思うんです」
どうして、こんな事を言ってしまったのだろう。
おそらく、由佳先輩に会い、二年前の事を清算しなければ、一生その事を引きずって生きて行く事になる気がしたから。
受験が終わり、平野に会う事もなくなった。
最後に会ったのは、彼の合否の結果発表の日だ。
結果は見事に合格だった。
あれだけの短い期間で猛勉強して、志望の大学に合格してしまうのだから、本当に凄いと思う。
私も大学が決まり、ようやく一息付ける所だが、まだ早い。
何しろ今日は、由佳先輩に会う事になっている日だからだ。
私は今日という日を待ち侘びてもいたし、恐れてもいた。
学校の校門で、琴峰と待ち合わせる事になっている。
休日の昼下がりの校舎は閑散としていて、校庭や体育館から僅かに部活動の掛け声が聞こえて来る。
一台の車が私の横に停まった。
硝子窓が開き、琴峰が顔を出す。
「乗って」
「はい」
ドアを開け、彼女の隣の助手席に座る。
そして、車は走り出した。
車は二十分程走り続け、住宅街のとある一軒家の前で停まる。
琴峰は車から降り、玄関へ向かった。
私もそれに続く。
「あの……御両親は?」
「両親は、仕事で殆ど家には帰っていないわ」
用意されたスリッパを履き、由佳先輩の部屋の前へ案内された。
縦開きのドアには、由佳と書かれた木版が掛けられている。
琴峰は軽くドアをノックする。
「由佳。天道さんが来てくれたわよ」
一切の物音がしない。
本当に、この部屋に由佳先輩はいるのか、そんな疑問が浮かぶ程に静かだった。
「琴峰先生。ちょっと、外してくれませんか?」
「分かったわ」
彼女も理解しているのだろう。
自分では、由佳先輩をどうにかする事は出来ない。
ならば、この場では私に由佳先輩を託すしかないと。
「由佳を……お願い」
そう言い残し、琴峰は俯いて部屋の前から離れて行った。
私は軽く部屋のドアをノックした。
「由佳先輩、私です。天道です。久しぶりですね」
やはり、部屋からは一切の応答がない。
「あの……聞こえてるのなら良いんです。私の話を聞いて下さい。あの日、私が由佳先輩に大怪我を負わせてしまった日。あの時の私は、本当にどうかしてました」
最初に言っておきたかった。
「本当に、ごめんなさい」
彼女への謝罪。
それこそが、まず私が彼女にする事だったのだ。
数秒間の沈黙が続いた後、部屋の扉が開いた。
部屋から出て来た由佳先輩は、今にも泣き出しそうな目で私を見ていた。
痩せこけた頬や腕が、とても痛々しい。
彼女は震えた声で嘆く。
「天道……どうして、あんたは、そんなに優しいの? 可笑しいよ。私は、あんたにあれだけの事をしたんだよ?」
「どうって事ないですよ。私には、バスケ以外にも道はあるんです。勿論、由佳先輩も」
私は彼女の痩せ細った体を優しく抱いた。
あの時、由佳先輩は悩み苦しんでいる私を、優しく抱きしめてくれたのだ。
たとえ、それが本心ではなかったとしても、確かに私は元気付けられた。
ならば、今度は私の番だ。
私が由佳先輩を元気付ける番なのだ。
彼女の温かな涙が、胸に沁み込むのを感じながら「ありがとうございました」と言い続けた。
♪
卒業アルバムを閉じ、棚の隅にしまった。
「波乱万丈な高校生活だったなぁ……」
それでも、楽しかった。
部屋の窓を開けると、心地良い涼しい風が頬を撫でる。
その風は、秋の訪れを予感させていた。
「平野、お前がいなかったら、たぶん私は途中で学校を辞めていた。今、私がこうしていられるのもお前のおかげだ」
見上げた雲一つない空は、平野と出会った日と同じ様に青く澄んでいた。
「きっと、上から見守っていてくれてるんだよな?」