HOPE 第一部
今更気付いたのだが、彼女の服装は制服だ。
まさか、こんな時間まで僕の事を探していたのだろうか。
「ごめんな。変な事して……」
「いや。もしかしたら、私にも非はあったのかもしれない」
彼女の声には、いつもの様な活気はなかった。
「私は、この高校にバスケ部の推薦で入学したんだ。でも、他のメンバーの性格がかなり悪くてな。虐めのターゲットにされてたんだ。靴に穴を開けられたり、トイレで服を脱がされたり、あの頃の私は本当に惨めだった」
以前、聞いた事がある。
女子バスケットボール部の噂。
それは部内での壮絶な上下関係、俗に言う虐めだった。
先輩と後輩の間で問題が起き、体育館で全校生徒が集まっての集会が開かれた程だ。
「一学期の総体が迫っていた時の事だった。もう限界だった私はその虐めの首謀者に怪我を負わせた。知ってたか? うちのクラスの担任は、その子の姉だったんだ。だから、私は担任に頭が上がらなくて」
「もう良い!」
僕は彼女の言葉を遮った。
そんな汚れた話は、聞きたくなかった。
天道が……そんな事の為に琴峰の犬になった話なんか。
「もう良いんだ。大体分かったから」
彼女の僕を見る表情は、驚いている様にも見える。
そして、彼女の頬に涙が伝う。
「初めてだ。お前みたいな奴……。あの日から……その事を知った奴は、皆が私を軽蔑したのに……」
初めてだった。
こんなに天道がか弱く見えたのは。
僕は彼女の手を強く握った。
手の温度や感触が直に伝わって来る。
「大丈夫だ。僕はそんな事、気にしないから」
「うん。ありがとう」
三学期になり入試が終了すると、天道に会う事も少なくなった。
最後に天道に会ったのは、始業式の時か。
話しによると、かなり偏差値が上の方の大学を受けたらしい。
三年生は自由登校という事もあり、殆どの生徒が学校へ行っていない。
もちろん、僕もそうだ。
それに学校へ行って、天道がいないのなら、行っても意味がない。
机の上のノートパソコンを開き、試験結果の確認サイトを開いた。
今日は合否の結果発表だ。
滑り止めとして受けた、第二希望の大学は受かったのだが、今回はとても不安だ。
何しろ、第一希望。
つまり最も偏差値が高いのだ。
恐る恐るマウスを動かしていると、携帯のバイブレーションが突然鳴りだす。
何事かと携帯を開くと、天道からメールが来ていた。
今日は合格発表だろ? 一緒に行ってやる。
「ネット使って見ようと思ったんだけどな……」
折角の誘いだ。
一緒に行く事にしよう。
合否の発表場所となる大学は、近所のバス停から一本で行く事が出来る。
天道にメールを返信し、財布と受験票を持って家を出た。
天道は僕よりも先にバス停にいた。
「久しぶりだな」
そう言って、天道はコートのポケットからカイロを取り出し、それを僕に差し出す。
カイロの袋には、この時期流行りの合格という印字がされていた。
「ありがとう」
「油断するなよ。結果はまだ分からないんだから」
天道と話したのは久しぶりだ。
だからこそ、なんだか安心した。
丁度、バスが来る。
平日の昼前という事もあり、バスの中には僕達しかいない。
「なあ、天道」
「何だ?」
「お前のおかげでここまで来れた。本当にありがとう」
その言葉に、天道は赤面する。
「ま、まだ早いぞ。とりあえず、合否を見ないとな」
合否の結果が並べられている掲示板は、バス停のすぐそこにある大学の門前にある。
僕と同い年くらいの男女が、そこら中に何人もいる。
段々、緊張して来た。
少しずつ息使いが荒くなる。
天道は穏やかな口調で「大丈夫だ」と言って、ぽんぽんと背中を押してくれた。
「きっと受かる。あれだけ勉強したんだから」
「……そうだな」
僕は込み上げる緊張を抑えながら、合否の結果が貼り付けられている掲示板を見た。
手に持っている受験票に記載されている番号と、掲示板を何度も見比べた。
「あった」
「え?」
「あったんだよ! やったよ!」
僕の緊張は一気に解れた。
そして、彼女の緊張も解れた様に、表情が緩む。
「やったな!」
「ああ。お前のおかげだ! 天道!」
「そんな事はない。私はただ、お前の背中を押してやっただけだ。これで、宮久保さんに胸を張って、会う事が出来るな」
「そうだな」
沙耶子が眠り始めてから、ただ、何の意味もなく毎日を過ごしている。
今までそう思っていた。
しかし、天道と出会ってからの、一分一秒には大きな意味が込められていた。
それは、希望も持てず大きな過ちを犯していた僕の変化。
そして、僕が変われた理由こそが天道だったのだ。
「ようやく決心が出来た」
「何の?」
「明日、沙耶子のお見舞いに行ってみようと思う」
天道は少しだけ悲しげな表情を浮かべ、そして笑い掛けた。
「そうか。きっと……宮久保さん……喜んでくれるぞ」
彼女の頬に一滴の涙が伝い、やがて涙が溢れ出す。
「おい、天道……」
「何でもない。大丈夫だ」
天道は涙を流しながらも、僕に笑顔を絶やさなかった。