HOPE 第一部
日々を何も考えずに過ごしている僕に、そんな事を考えていられる余裕なんて、ないのだから。
担任は見計らっていた様に、ある書類を僕に突き付けた。
そこには、ここ最近の定期テストの結果が載っていた。
国語 18点
英語 19点
数学 8点
地理歴史 23点
理科 4点
公民 9点
「このままじゃ、付属の大学どころか多大にも行けないわよ。就職するにも、この内申じゃ雇ってくれる所があるかも分からないし」
三年生の二学期の、この時期に僕を呼び出したという事は、琴峰はおそらく真剣に進路について、僕と話し合うつもりだ。
長くなりそうだな。
そう思い、僕は短く溜息を吐いて言った。
「話はそれだけですか?」
「は?」
信じられない、とでも言いたげな顔をして、琴峰は呆れた様な顔をする。
「ちょっと、分かってるの? あなたの将来の事、つまりこれからの事を話してるのよ! もう三年の二学期なんだから、そういうのも決めておかなくちゃいけないの! ちょっと、聞いてるの!?」
そんな話には興味がなかった。
ただ、その日を生き抜く事が出来れば、それで良い。
そう思っていたから。
僕は琴峰を横切って、準備室から出た。
「ちょっと!」
呼び止める声が後ろから聞こえたが、完全に無視を決め込んだ。
秋の乾いた風が、昇降口に吹き抜けていた。
上履きから靴に履き替ていると、後ろから声を掛けられた。
「よ! 気偶だな!」
彼女は僕に対してそんな事を言う。
「天道……美羽?」
「そう、天道美雨だ」
どうして、こうなった?
どうして、僕は天道と帰り道を共にしているのだろう。
僕に対してペラペラと話をする天道。
その話に、適当に相槌を打って対応する僕。
やはり、何かがおかしい。
「君に興味を持ったんだ」
屋上で言っていた彼女の言葉を思い出す。
いったい、天道は僕の何を気に入って、こんな事をしているのだろう。
「お前、僕と一緒にいて何か楽しいわけ?」
天道は少しだけ考える様に腕を組んだ。
「というより、最近は暗くなるのが早いからな。隣に男がいた方が何かと安心なんだ」
そんな訳がない。
そんな理由だけで、僕なんかと一緒にいるわけがない。
「お前みたいな、男口調してる奴を狙う物好きはいないと思うぞ」
「口調なんて関係ないだろう。世の中には男で女口調な奴がいるんだから」
「それって、ただのニューハーフだから!」
つい、突っ込みを入れてしまった。
まったく、どうも調子が狂う。
天道はクスクスと笑う。
「何だよ?」
「お前といると面白いなって。そう思っただけだ」
僕は、フンと鼻を鳴らし、天道から目を反らした。
「明日もちゃんと学校に来いよ」
「まあ、その日の気分次第だな」
そう言って、僕は天道と別れた。
後ろから彼女の声が聞こえて来る。
「遅刻するなよー!」
彼女の声に、適当に手を上げて合図をした。
天道と別れた後、いつも煙草を買っている自販機へ寄った。
いつもなら迷わず購入するのだけれど、なかなか手が伸びない。
数十秒悩んだ後。
「今日は止めておこう」
結局、煙草は買わなかった。
コンビニで適当に弁当を買って帰宅した。
家の中には誰もいない。
聞こえて来る音といえば、時計の針が秒針を刻む音くらいか。
机の引き出しを開けると、そこにはリストバンドが一つ入っている。
これは、かつて綾人の物だった。
そして、これは僕に渡された。
綾人は沙耶子を僕に託したのだ。
それなのに……僕は……。
自分の情けなさに、目蓋がじんわりと熱くなり、やがて涙が出て来た。
いつもの事だ。
こんな事。
でも、本当にこれで良いのか?
僕は……。
翌日、学校には盛大に遅刻した。
休み時間になったのを見計らって、教室へ入ると、何故か天道は僕の椅子に座っていた。
しかも、かなりきつい表情をしている。
なるべく天道と目を会わせない様に、僕は渋々と自分の机のフックに荷物を置いて、教室を出ようとした。
しかし、教室を出ようとした時、天道は僕の腕を掴んだ。
「……何だよ?」
天道は周りを少しだけ見渡し、軽く舌打ちをする。
「ちょっと来い!」
そこは屋上だった。
午前中という事もあり、とても空気が澄んでいる。
僕の目前にいる天道の空気は、かなり淀んでいるけど。
「どういうつもりだ!?」
「何が?」
その返答に、天道はきゅっと拳を握る。
「約束したのに……」
次の瞬間、もう言葉を発する余裕はなかった。
なぜなら、彼女の拳は僕の腹を直撃していたからだ。
「痛ってぇ……」
腹を抱えて、その場に蹲る。
「な、何するんだよ!?」
「昨日……言ったのに……」
「は?」
「遅刻するなって……」
『遅刻するなよ』
昨日の別れ際、確かに天道はそう言っていた。
それなら、怒るのもしょうがないかもしれないが、さすがに腹パンはない様な気がする。
僕は痛みに耐えながらも立ち上がった。
「なあ、どうして僕に構うんだ? 遅刻するもしないも、人の勝手だろ」
「今、なんて言った?」
彼女の声はどんどん低くなっていく。
「は? だから遅刻するもしないも人の勝手なのに、どうしてお前はそうまでして僕に構うんだ?」
「それは……お前が、あまりにもダメな奴だからだよ! 宮久保さんが屋上から飛び降りてから、ずっとこんな調子じゃないか! 成績も下がる一方だし、ろくに授業にも参加しないし、それに」
途中で彼女の言葉が途切れる。
そして一気に赤面し、僕から目を反らした。
「どうして……沙耶子の事を……」
「まだ……高校に入学してすぐの事だったんだ」
♪
入学して間もない頃の事だった。
いつもと同じ昼休み、いつもと変わらない友人との他愛のない会話。
途中まではそうだった。
「平野隼人って子、知ってる?」
まだ、その頃の私は平野隼人という存在すら知らなかったのだ。
「さあ、知らない。誰?」
「あんまり言っちゃいけないんだけど、先月だったかな。両親を交通事故で亡くしちゃったんだって。高校に入学して早々なのに、可哀想だよね。で、いつも校舎裏で泣いてるらしいよ」
少しだけ嫌な気分になった。
そんな話、面白半分でする物じゃない。
「へえ」
とりあえず、適当に相槌を打った。
非日常へ行きたかった。
ただ同じ事を繰り返す毎日に終止符を打ち、何かを変えたかったのだ。
そして、気が付けば、私にとっての非日常、そう、その子がいる校舎裏に来ていた。
校舎の物陰に隠れながら、そっと顔を覗かせる。
木蓮の下に座り、頭を抱えている少年がいた。
おそらく、あれが平野隼人だろう。
話し掛けようかと思った。
でも、何を話せば良い?
そもそも、私が平野に話しかけたとして、彼はどう思うのだろう。
お節介?
迷惑?
きっとそうだ。
平野は私をその様な存在としてしか見ない筈だ。
それでも、出来る限り遠くから見守っていよう。
平野が笑えるその日まで。
ただ、純粋に側で守ってあげたかった。
理屈はないけれど、平野を見た時にそう思った。