現代異聞・第終夜『行っちゃ駄目』
面子としては男女二人ずつなので、最終手段としてラブホテルに泊まるという手も考えたのだが、絶縁状態に近いとは言えまがりなりにも恋人のいる身としては、その手の場所に何となく拒否感を覚えてしまう。同乗する女友達だって嫌だろう──同じサークルに所属する身とはいえ、それぞれ私生活は別にあるのだ。
山の中を延々走り続ける。一つ山を越えたら、また新しい山に差し掛かる──ぐねぐねと坂道を上り下りする内に方向感覚は狂い、今自分達がどこにいるのかすら判然としなくなった。それでも特に不安を感じることもなければ、車内の雰囲気が悪くなるわけでもない。むしろ半ば迷子になっている現状すら楽しむように、皆一様に声を張り上げては笑い、カーラジオから流れる番組に文句を言ったりしていた。車中泊だってできるし、街に出ればコンビニで食料を買い込むこともできる。そうでなくても荷台にはお菓子だのジュースだのが満載になっていた。
大蛇に頭から呑み込まれ、溶かされていくような、そんな坂道だ。右に左に車体は振られ、トンネルや小さな木立を一つ越えるごとに空の色が赤黒く染まっていく。夕陽の色は血のように鮮やかで、沈みかけた太陽を山間に望む──熱された溶鉱炉のような朱色が陽炎のように立ち上り、夜に溶け込み薄れていくような感覚に囚われる。熱が引いた箇所から黒く焦げ付き、やがては黒ずんだ夜空に移り変わるのだろう。
相変わらず自分達以外に車の影はなく、あったとしても対向車線を過ぎ去って行ってしまう。山間部の交通量などたかが知れているのだろうか、さして不思議にも思わなかった。むしろゆったりとした運転を楽しめるので、助手席に座っている身としても安心できる。
俺は生憎免許を持っていなかったので、運転は唯一免許と車を所有している一つ上の先輩──峰岸敬人(みねぎし・たかと)先輩に任せきりだった。先輩自身運転は趣味だと言っていたので、厚意には素直に甘えている。
「──そいでさ、紘ちゃんのことお嬢に電話したらこの子超心配してて、何かもう泣きそうになってんのよォ」
「ちょっと、ユッコ、それ言わないでって約束したのに……!」
「えー、何で? いいじゃん言ったって。紘ちゃんさんさあ、この子マジ泣きだったんだかんね? もう電話してても鼻水垂れてるなーってわかるぐらい」
「ユッコ……!」
後部座席で、女性二人が何やら言葉を交わしている。
妙に絡んでいるのが橋場由希子(はしば・ゆきこ)、絡まれている方が久里寧々(くり・ねね)で、この二人は俺と同学年だ。橋場はいつでも活発で口数も多く、ロックにかぶれているわけでもないのに、長い髪を金色に染めている。年中髑髏だの蛇だのがプリントされた黒系の服を着ているのだが、これもただの趣味で、深い拘りはないのだと言っていた。
対する久里寧々は、いかにも普通の女の子といった感じだ──顔立ちも地味だし、体格は少しぽっちゃりとしているが、柔和な雰囲気で場を和ませてくれる。こちらは何だかフリルだのレースだのがあしらわれたワンピースなどを着ていることが多く、どこかゆったりとしたお嬢様然な雰囲気から、お嬢というあだ名で呼ばれることが多かった。今運転席に座っている峰岸先輩とは恋人同士ということだったが、時勢が時勢だからデートするのもままならないらしい。
何せ図書館で小説を読んでいるだけで軟派だ、学生自治権を放棄する愚行だと糾弾されるような時代なのだ。
学生闘争だか何だか知らないが、正直俺のように無関心な人間からすればただ迷惑なだけの話でしかない。サークルメンバーの大半もアジビラ配布だの定期集会だの面倒事が嫌で、心霊現象研究会などという胡散臭いサークルに加入したような人間ばかりなのだ。
土台がそんな連中だから、互いの距離が縮まるのも早い。
俺みたいに好きこのんで孤立しているような手合いは別として、サークル内にはどこか家庭的な繋がりがあった。
「っかし、紘一郎も友達甲斐のない奴だよなあ。落ち込んでんならそう言えっての。うちのサークルはそういうの気軽に相談できるってのが長所なんだから」
「ああ……すんませんでした。何か、大学生にもなって人に甘えんのもなって、みっともない気がして……」
「馬ぁ鹿、大学生なんて餓鬼扱いだよ、社会に出たら。いいんだよ、俺らは餓鬼なんだから、甘えて。入ってきたときから何か壁作ってたからよ、心配だったよ、お前のこと」
「結構この顔で人見知りするんですよ、俺。ずっと入院してたせいで、人付き合いとかしてませんでしたし」
峰岸先輩に愛想笑いで答える。そういうものか、とあっさり納得してくれる辺りに、この人の器の大きさというか、おおらかさがよく表れているような気がした。
実際の理由は、もっと複雑だ。
勿論人見知りするのは確かだし、入学直後の入院が響いたのも事実なのだが、最大の要因はやはり鍵子の存在だったように思う──周囲から避けられ、遠ざけられていた鍵子と付き合うようになって、自然に俺の周囲からも友人達は離れていった。散々あいつの悪評は聞いていただろうから、俺と一緒に巻き込まれるのを嫌がったのだろう。別段恨みに思うわけでもないし、寧ろ正しい選択だと思う。
あいつは──あいつと一緒にいると、
──不幸な目に遭う。
鍵子に原因があるわけではない。何もかも全て責任は俺にある──だが、必ず発端の一部として鍵子の存在が挙がるのは否定できない。寧ろあいつ自身がそういう立ち位置をとりたがる節すらあった。
──試されてるみたいだな。
俺も大概人付き合いが下手だが、あいつは俺に輪をかけて下手だ──望んで孤立して、近付いてきた者さえ篩(ふるい)にかけようとする。決して悪意故の行為ではないと知っているから、余計に痛ましく思えてしまう。
「──甘えて、いいんですよね」
無意識に漏れた囁きに答えはなかった。後ろではしゃぐ二人の声と、タイヤが路面を擦る音に掻き消されてしまう。答えが欲しかったわけでもなく、どこか安堵すらしている自分がいることに気付く──口に出して言ってみたはいいものの、どこかまだ納得できていない部分があるのだろう。
──甘えていいのか。
──頼るだけでいいのか。
──俺は──支えてやるべきなんじゃないのか?
山道は次々と見せる姿を変えていく。張り出す枝葉が天を覆ったかと思えば、雄大な遠景を望ませることもあった。夕暮れから夜へと移り変わる黄昏の色に街並みは染め上げられて、目に映る光景全てが陽炎のように儚く、頼りない。夜に向かい傾斜していく街を横目に見遣りながら、車は一定の速度を保ち走り続ける。
もう何度目になるのかわからないカーブを抜け、円を描くような形で山道を駆け上がっていく。
途端──
──どん、と、轟音が響いた。
耳元で花火が鳴ったような凄まじい大音声と共に視界が闇に染まり、意識が暗転する。
テレビの電源を消されたように、
突然全ての音が消えて、
目に見える全てのものが消え去って、
俺は──、
全身に衝撃を感じた刹那に、
意識が──砕け散る。
──ああ、
──見えない──聞こえない──、
──ゆらゆらと、
ぐらぐらと何もかもが揺れて、溶けていき、
──ああ、
作品名:現代異聞・第終夜『行っちゃ駄目』 作家名:名寄椋司