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現代異聞・第終夜『行っちゃ駄目』

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■ 起 ■


 車窓から覗く景色が、特別風光明媚だったというわけではない。
 それでも気持ちが浮ついているのは確かだったし、ここ数日の不幸から多少なりとも気を逸らすことはできていた。下手くそな運転に揺られるまま、一瞬ごとに切り替わっていく光景を見るともなしに見遣る──切り立った山肌、鬱蒼と茂る木々、豊富に緑を蓄えた森、せせらぎと共に流れる小川。それこそ旅行雑誌にでも載っていそうな景色を幾つも越えて、四人乗りの自動車は更に深い山間を目指していく。
 車内を包む話し声は途切れることなく、たまに馬鹿みたいな笑いが混じった。遠足バスに乗った小学生のようにはしゃいで、持ち込んだお菓子を食べたり、ジュースを飲んだりもしていた。酒こそ飲んでいないものの、妙に気分が高揚している──それこそが旅行の醍醐味だと言われれば返す言葉もない。少なくとも大学生四人が旅行に出かけるとなったら、観光などは二の次、三の次だ。普段とは違う環境で大騒ぎして、日頃の憂さを晴らすことが目当てで、どれだけ景色が綺麗だろうが知ったことではない。
 ──馬鹿みたいだな。
 事実、俺は馬鹿なのだろう。
 長い間面倒を見てくれた祖父母が相次いで急逝し、俺は自分でも驚く程に滅入ってしまった。何をしようにも意欲が湧かず、食事はまともに喉を通らない。あれこれ詮索されるのが鬱陶しくて、大学からも足が遠のいてしまった。自然世間から孤立していき、家の中に篭もりがちになっていった──サークルの中でも深い付き合いのあった三人が「紘一郎はこのままじゃあ自殺でもするんじゃないか」と心配して来てくれなかったら、それこそ俺は絶食の挙げ句に遠回りな自殺をする羽目になっていただろう。
 決して人付き合いが良い人間ではないと自覚している。
 それでも、助けに来てくれたことに、俺は素直に感謝していた。
 ──助けに来たなんて、大袈裟だな。
 友人達はそう言って笑ったが、実際俺はあの部屋から救い出されたのだ。
 ──俺は、
 きっとあの部屋に閉じこもっていたら──死んでいたのだと思う。
 殺されていたとも思う。
 祖父母を襲った不幸の連続に、すっかり精神が冒されていた。
 他愛ないことに怯え、そのくせ無気力だから逃げ出すことすらできない。浴槽から湯を抜くような緩慢さで体力が失われ、少しずつ意識が閉じていくのを感じていた。普段ならば真っ先に助けを求めるべき人間がいるのだが、今回ばかりはあいつに頼むわけにもいかない。
 俺を襲った不幸、その大半は──あいつが、鍵子が引き起こしたことだからだ。
 恨んでいるわけではない。
 憎んでいるわけでもない。
 ただ──今の俺にとって、あいつはたまらなく恐ろしい化け物のように映るのだ。
幸か不幸か、お互い頻繁に連絡を取り合うといったような交際をしているわけではないので、鍵子との連絡を絶つのはひどく簡単だった。大学に顔を出さず、電話もせず、ひたすら家の中に閉じこもっているだけでいい。それだけで俺を取り囲む世界はいとも簡単に縮小した。
 鍵子──或いは、稲毛洋子。
 あいつが何故付き合う男と片端から別れ、忌み嫌われるようになったのか、今になってようやく理解できた気がした。
 ──どうしたらいいんだろう。
 答えのない問いかけが、頭の中をぐるぐると駆けずり回っている。
 鍵子は俺を助けてくれた。少なくとも、助けようとしてくれた。結果として周囲の人間に不幸を押しつけるようなことになったけれど、それもきっとあいつの言う釣り合いの問題なのだろう。無理に幸せを追い求めるよりも、不幸で均して被害を軽く済ませるような、そんな平均化故の行為。少なくとも鍵子にとって俺は命を助けるだけの価値はあるようだし、今でもそれは変わらないのだと思う。つい先日も、手紙で体調を心配していると伝えてくれた。
 返信する気力なんてどこにもない。
 封を破ったのだって、本当にたまたま、気紛れ以上の何ものでもなかった。
 短い文面に目を通し、鉛のように重い溜息を吐き出して、俺は淡い桜色の便箋を机の上に放り出した。以来そのままだ──滅多に換気もしないから吹き込んだ風に飛ばされるようなこともなく、便箋は机の上に転がっている。読み返そうとは思えなかったし、その手紙に触れること自体がとても忌まわしいことのようにも思えた。
 ──素直に、別れるべきなのか。
 もし俺から別れ話を切り出したとして、きっとあいつは交際を受けたときと同じくらいあっさりと、ええ、はい、私は全く構いませんよ──と返答するのだろう。容易に想像できるし、むしろこうでなかった場合が想像を絶する。あいつが泣いて縋るなんて場面、到底考えられないし、正直考えたくもなかった。
 鍵子はもっとわけがわからなくて、超然として、俺達の理解には余るものだ。
そうでも思わなければ、俺は家族の死を受け容れることすらできなかっただろう。
 ──理不尽な運命に負けたのだ、
 ──不条理な定めを負ったのだ、
 ──だから諦めよう──。
 諦めるにも言い訳が必要だ。今回のような場合は、特に。
 俺の他愛ない物思いを嘲笑うかのように、車は順調過ぎるぐらい順調に旅路を進めていた。幾つ県境を越えたものかは知らないが、普段暮らしている街から百キロ以上離れたことは確かだ。窓を開ければ澄んだ空気が飛び込み、高地特有の涼気が入り込んでくる。改めて周囲を見渡すと、目に映る光景はすっかり見慣れないものへと変貌を遂げていた。
気が付けば俺達を乗せた車はくねくねと不規則に曲がる、山間を貫く緩い坂道を登り始めていた。前を見ても後ろを見ても、同じ道を走る車が見当たらない。
 道路の左手側にはなだらかな丘陵がそびえ、斧に切り込まれたことのない森が幾つも互いに重なり合っている。暗く狭い斜面があり、そこでは木々が異様に傾いていて、日射しに触れたこともなさそうな小川が流れていた。時折山肌の切れ目から眼下を望むことができる──山の傾斜に沿って坂道の多い街が作られ、防雪のためだろうか、低くがっしりとした造りの家々が軒を並べていた。
 右手側にはかつては人が暮らしていたのだろう廃屋、空き家が散見されるが、その不潔な外観から、今はもう誰も住まなくなって久しいことがわかる。広々とした土地は旧道に沿ってまだ残されているのだが、背を伸ばした木々に覆い隠されてしまっていた。遠近か明暗の狂った絵のような森の外れには小さな集落がいくつか点在しているのだが、それぞれに交流を持っているのかどうかはわからない。
 左手側、まがりなりにも街として存続する術を模索し移り住んでいった者達と、右手側、住み慣れた土地に固執した者達とでは、既に別個の種族のようなものだろう。俺と鍵子が違うように──或いは、俺と鍵子が違う以上に、彼らは分かたれてしまったのだ。
 ガードレールが後ろへ飛んでいくような速度で走り続け、ようやく前方から来た車とすれ違う。聞いたことのない土地のナンバープレートをつけていたせいで、県名までは判断できなかったが、東北地方のどこかであるだろうとは推測していた。もともとは秋田だかどこだかの旅館目指していたのだ──途中で適当に一泊する予定だったが、さすがに山中ではホテルを探すこともままならない。