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現代異聞・第二夜『長い遺体』

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■ 起 ■


 祖母の葬儀はひどくつまらない代物だった。
 簡素な上に弔問客も少なく、場の空気全体が白々しいまま式が進行していく。その場にいる誰もが居心地の悪さを感じながら、痺れる足を誤魔化し正座を続けていた。嘘寒い感覚は終始晴れることなく、むしろ式が進むにつれて肥大化しているようにさえ思える。事実、親戚の内何人かは、体調不良を理由に中座することがあった。
 幼い頃に両親を事故で失い、祖父母の家で育ててもらったのだが、未だに祖母に対してどんな感情を抱くべきなのかわからない。一人残された祖父は、何年かぶりに田舎に戻った俺の顔を見るなり、
 ──すまんかった──、
 ──ほんに、おまえにはすまねぇことをした──。
 俯き涙を堪える祖父にすら、俺は何と声をかけるべきかわからず、ああ、とか、うん、とか、返事になっていない返事をしただけなのだ。結局俺はいつ買ったのかもわからない喪服に袖を通し、まばらな客を相手に受け付けをする羽目になった。
 ──紘ちゃん、
 ──紘ちゃんよ、
 ──トミが、
 ──トミが死んだよ──。
 電話口で、祖父はやけに冷静な口調で肉親の死を告げてきた。田舎から更に最奥へと踏み入り、辺境としか言い様のない海沿いの集落──茅部村まで一日がかりで足を運び、かつて暮らしていた家を訪れる。移動だけでも大変な苦労だったが、以前暮らしていた家の敷居を跨ぐのは更に苦痛だった。
 ──淀んで、
 ──薄暗い。
 馬鹿みたいに大きい平屋の屋敷だ。黒ずんだ木の柱を組み合わせた上に、藁葺きの屋根を乗せている。雑草が繁茂した広い庭を通り抜ければ門扉に繋がり、両脇を田んぼに挟まれた道路が真っ直ぐ続いている。言い換えれば、道路はこの屋敷にだけ向かっていることになる──実際、隣近所の家を訪れようと思ったら、道路を大きく迂回するか、田んぼを突っ切るしか道はない。立地の悪さも手伝ってか、来客は祖母への頼み事──占いだの呪いだの、胡散臭いものばかりだったようだが──をしに来ていた人間ばかりだったような気がする。思えば祖母はいつもお経を唱えているような人だった。熱心になればなる程周囲から人が離れていくのを、まるで気にしもないで──ただ一心不乱に、お経を唱え続けていた。実際祖母への来客は年々減り続け、晩年は恐ろしく孤独だったのだという。
 ──だから──か。
 屋敷の空気は淀んで、濁っている。
 汚いのではなく、沈殿しているのだ。上澄みだけ見ているならいいが、底に積もった澱に手を伸ばすと途端に不快になる。
 ──胸をむかつかせる家だ。
 何年も暮らしていたはずなのに、何故か俺はそう思った。昔はこんな家ではなかったように思う──でなければ、子供だった頃の自分が、こんなおぞましい気配に無関心でいられたはずがない。ぱらぱらと訪れる弔問客達にもこの気配は伝わっているのだろう、門扉を潜るたび、皆一様に大きく顔を顰めていた。屋敷の奥から垂れ流しになる坊主の読経が、一層不気味さを演出しているようにすら思えてしまう。
 ──このたびは本当に急なことで。
 ──まことにご愁傷様でした。
 ──あんな元気だったのに、まさかこんな急にだなんて。
 ──以前からお世話になっていたんですよ。
 ──まさかトミさんが──。
 ──まさか祖母が──亡くなるだなんて、思っていなかった。
 いや──多分、それは嘘だ。
 他の誰かならばともかく、俺は知っていた。祖母が亡くなるだろうことを知っていたのだ。鍵子も知っていた。むしろあいつは確信していた節がある──問い質したわけではないので詳しくは聞けなかったが。
 祖父もまた、どこかで妻の死を覚悟していたようだった。こちらに着いてからというもの、祖父は倦み疲れてはいるものの、特に悲哀を感じさせるような素振りは見せていない。
──しょうがねぇんだ。
 ──あいつがいなぐなんなぁ、しょうがねんだよ、紘ちゃん。
 ──だから、気に病むな。紘ちゃんのせいじゃねぇ。
 ──ありゃあよ、トミが悪ぃんだよ。
 ──いなぐなんのも──しょうがねんだよ、そんだけのことしたんだよ。
 祖母が実際に何をしたのか、俺にも祖父にもはっきりとしたことはわからない──というより、考えたくもないというのが正直なところだった。
 だからお互い仕方がないの一言で片付けて、深く考え込んだりはしないようにしている。緩慢でつまらない葬式も、重苦しく濁った屋敷も、何も考えなければただそうであるというだけのものだ。
 葬式はつつがなく進んでいく。入れ替わりはあるものの、訪れる客がそれなりに続いたのは驚きだった。祖母の怪しげな生業が関係しているのか、旧家の威光が通用しているのか、俺にはどちらとも言えない。
 もう何代も前から、俺の先祖──蔓引(つるびき)の家系は、この集落で網元のような役割を果たしてきた。勿論今は戦後なのだから、組織構造自体は漁業組合に取って代わられてしまっている。だが地元の漁師は蔓引家の号令に従い漁を行い、蔓引家の言う通りに給与を分配した。
 気性の荒さで知られる漁師達が、何故唯々諾々と蔓引家の取り決めに従っていたのかはわからない。ただ、一つだけ心当たりがあるとすれば──地元には海に出るだけでなく、海を見ることすら忌む特別な時期があって、その間に奇妙な神事を取り仕切るのも蔓引家の役割だったということがある。祖父も父も漁師で、先祖代々続いているという神事に参加していた。俺はまだ子供だからということで留守番を言い付けられていたし、その役割を言い渡される前に家を出てしまったので、件の神事とやらがどんなものなのか、知る由もない。
 ただ、その時期には海に行くな、海を見るな、誰が海に行っても関わるな──と、異常に厳しく言われていた。海を忌む日には、信心深い祖母などは近所の女達を集めては仏間に引きこもり、一日中お経を唱えていたものだ。
 俺はそれを聞きながら、ただ、
 ──怖い、
 と──それだけ、思っていた。
 海を忌まわしく遠ざけるにはそれなりの理由があって、だから大人達はこんなに大騒ぎするのだと、子供ながらに理解できてはいたのだ。
 確か──俺が小学校に上がってすぐの年だったか、
 そんな恐ろしい、おぞましい日に──男が五人も死ぬという、大変な事件が起きたことがあった。
 五人の中で親分格だったのは、笹川藤治という男だった。粗野で、下卑ていて、低俗な男だった。いつも取り巻きを引き連れて、高校生だった癖に酒を浴びる程飲み、馬鹿みたいに煙草を吸っていた。当時は札付きの不良と言われていて、俺も何度か金をとられたことがある。
 笹川の素行について、村の人間が何も言わなかったのは、あいつが豪農の家の息子だったからだ。
 笹川家に土地を借りている農家は多かったし、水利権の問題もある。表立って文句を言うことの出来る人間がいなかった──親は息子に輪をかけたような愚物で、こいつは大成するだの若いのに大人物だのと、恥知らずに放言していたものだ。
 その大人物は──禁じられた日に取り巻き四人を引き連れて海に向かい、
 ──死んだのだ。
 誰も彼らを止めなかった。
 止められなかったわけではない。止めなかったのだ。