金の燕
6
小さな花束を抱え、オレはなだらかな丘を登る。花々や草々、木々が少々衣替えしているも、一ヶ月前に来たときと変わらない平穏さで、丘はカジナスの街を見守っていた。あのとき思い描いたものより、ずっと壮大な夕刻の景色。
あれから二週間。オレは銀の燕をつけず、ローラは金の燕を左手首につけたまま故郷のカジナスに帰っていた。あの摸擬試合の翌々日、シャイニア国から領地拡大無期限延期の告知がなされた。公式発表によれば、王が急病で倒れたらしい。トップが倒れては領地拡大どころじゃないらしく、拍子抜けするほど簡単に戦争の波は引いていった。その告知により、成人しているナロトンたちはそのままに、義務教育生のオレは改めて卒業後志願するようにと故郷に戻された。ちなみにその志願は強制ではない。
目当てのものを見つけ、オレは歩幅を広げる。走りはしない。急がなくてもローラは眠ってそこで待っている。
「ローラ」
しばらく見下ろし、しゃがんで近くで見つめる。夏前の風が草原の丘を吹きぬけた。
オレは花束をそっと載せ……ようとして阻害された。
「ふふ」
「起きてんじゃねーか」
「当たり前だ」
碧色が陽光を弾き、金色が短い草を孕んで揺れた。草原に寝転んでいたローラが起き上がり、左腕で退けた花束を見て首をやわく傾げる。その首にはまだ白い包帯が巻かれていて、見る者の心を痛めつける。
「どうしたんだ、その花」
「どうしたもこうしたも……。見舞いだよ、お前の。手作り菓子持ったクラリス連れてお前んち行ったんだよ」
「ああ、なるほど」
「そしたら姉上がいないんだってヘリバーが青ざめた顔して出迎えてな。今、みんな手分けして探してるところだ」
「ふむ、そんなに大事になるとは思わなかった」
「なるだろフツー……」
ちょいちょいと花の先で人工的に白い首を示せば、気分転換に散歩のつもりだったのだがと、シグ家のパニックもどこ吹く風とローラは嘯いた。
命に関わる重傷を負ったローラ・シグ隊長は、戦争がないならと以前の休暇分と新しい療養休暇をもらい、オレに遅れること五日、カジナスに帰省した。学校が終わるのを待って一度実家へ戻り、手土産を持って見舞いに行ってみれば、当人が失踪しているとかいうんだから堪らない。全く、どれだけ苦労して青々しく育った葉を茂らせた木と木の間を潜ってきたと思っているんだ、自由人め。
「まあ座れ」
「座るよ」
前回と同じような位置に座る。そして思い出した花束に目を落とし、木々を潜ってきたせいで大分花びらが落ちているも気にしないことにして、オレはん、とローラに差し出した。
「お大事に。っても充分元気そうだけど」
「元気だぞ。包帯もいらないぐらいなんだが、どうもヘリバーが大袈裟に騒いでな」
オレのせいで大事な姉が重傷を負うことになったのだが、オレとヘリバーの友情は変わらなかった。むしろ、助けてくれてありがとうと感謝までされ、居心地の悪い思いをしたものだ。
「それよりマイク、お前こそ大丈夫か?」
ローラがオレの左腕を見遣る。オレは少々痛むが大事無いことを示すため、腕を上げ下げさせる。よかったと顔を綻ばせたローラを何となく眺め、オレは吹き出した。
「ん?」
「ついてる」
葉っぱ、といって、オレは金髪に手を伸ばす。以前も同じような状況があったが、今回は違う。葉と共に触れた金髪はさらりとした触り心地だった。ローラが礼を言う。
しばらく無言が続いた。二人ともどちらかが喋るのを待っている。……いや違う。待っているのはローラだけだ。
「……オレさ」
「うん?」
「軍には志願しない」
風が吹く。金髪が揺れ、右手下の街を見下ろしていたローラがオレを見て、そうかと頷いた。
「訓練生になってわかったんだ。軍人っていうか、オレ、戦えないと思った」
「そうか?」
「そうだ。お前……を怪我させたことがトラウマになったわけじゃないけど、なんていうかな……適性うんぬんのレベルで」
手元の草をぶちぶち抜いては大地に還す。ローラは適当に相槌を入れながらオレの言葉を待っている。
「あのときはごめん」
「いや、別に謝ることでは……」
「それと……」
一旦区切って、ローラの碧の目を見る。
「助けてくれて、ありがとう」
抜いた草が風に攫われていった。金髪が無造作に流され、それを押さえてローラが「ああ」と頷いた。少々難がある性格だが、人の好意を素直に受け取ることが出来るのは持って生まれたローラの長所だろう。こういうところにクラリスはじめファンクラブメンバーや、第十五番隊の軍人がついていく理由があるのかもしれない。
「でさ……オレ、何も出来なかったけど、やりたいってことは見つけたんだ」
「うん?」
それだけで訓練生になったことは無駄じゃなかっただろう。何かやりたいと思えることを見つけられた。
「誰かを、助けたいって」
思ったんだ。
それはカジナスに帰る馬車に揺られながら決めたこと。
「オレ、医者になる」
ハッ、と息を吐く。まだ誰にも言っていない、将来目指す道、口にするのはかなり緊張したらしい。手に変な汗をかいている。
おそるおそる隣を見ると、ローラはかすかに首肯し、そうかと微笑んだ。
「目標があることはいいことだ」
でもこれから大変だぞ、と満足そうに笑われるのが何だか気恥ずかしくなって、オレはすっくと立ち上がる。
「か、勘違いすんなよ! お前を助けたいとか思ったわけじゃないからな!」
「はは」
「笑うな! オ、オレはただ、友達が少ないお前を憐れんで、その少ない気のおけない同僚を少しでも救おうとだな……」
「ははは」
「笑うなっ!」
指差すオレにローラが左手を差し出して来た。ちなみに右手には花束。オレの眼下で金の燕がちらりと跳ぶ。オレは頬が赤くなるのを隠せずに、それでもその手を取った。
立ち上がるとオレの背を越えてしまう女が、ありがとうと耳元で呟いた。そしてそのまま唇が触れてきた。額に。……ムカつく。
いつか絶対越えてやると決心するオレの目の前、微笑む金の燕の向こう側、夕暮れの空に数羽の燕が飛んでいった。