「姐ご」 10~12
「姐ご」(11)
ゴルフの練習場にて
病院から戻った瓦屋の自宅です。
時刻はまだ、朝の5時前でした。
居間で新聞を読んでいる瓦屋へ、
キッチンから出てきた奥さんが声をかけました。
「鍋に、おでんを沢山仕込んでおきました。
今日一日は大丈夫だとは思いますが、
夜になったら念のために
火を入れてくださいね、
もう出かけますので、あとはお願いします」
「おう、お茶を入れたから呑んでいけ」
「え・・・・あたしに?、
はい、いただきます」
エプロンを外しながら奥さんが、瓦屋の真向かいに座りました。
初めて使う夫婦茶碗の両方に、あたたかそうな湯気があがっています。
「帰りは、明日の深夜です。
本当に、おでんだけでいいのですか。
なにか他にほしいものが有れば、
追加で用意をしますけど」
「俺と婆が食うだけだ。
そんなもんでも充分だ、ありがとうよ」
「そうですか、
じゃあそろそろ時間ですので、いってまいります」
奥さんが、いつものように返事を待たずにバックを抱えると
大きなボストンバッグを片手に立ち上がりました。
常にぶっきらぼうの瓦屋は、口数が足りないことでも知られています。
「おう、気いつけていってきな。
安全運転で発車オ~ライだ。」
えっと、奥さんが振り返り、初めてクスッ笑います。
奥さんの仕事は、添乗のバスガイドです。
いつもそれ以上の声をかけない瓦屋が、今日に限って、
奥さんの見送りにと立ち上がりました。
これもまったく初めてのことです。
「なにびっくりしてんだよ
悪いのか、亭主が女房を見送っちゃぁ。」
「あ、はい。
初めてすぎて、 どうしていいのかあたしにも・・・」
「馬鹿野郎、
お別れのチューをするわけじゃあねえ、ただの見送りだ。
気をつけて行って来いと言っているだけの話だ」
「あら、そんな・・・でも嬉しい。
ねぇ、あんた、そんなに無理して仕事の復帰を頑張らなくても
食べていくくらいなら、あたしがなんとかしますから・・」
「言ってくれるね、おかみさん。
気持ちだけはありがとうよ。
散歩のついでに、そこまで一緒に出るだけだ、
リハビリ代わりの、朝の運動だ」
「気を付けてください、まだうす暗いですから」
「なに、そこの練習場まで歩くだけだ。
通い慣れた道だ。
それよりお前のほうこそ気をつけていって来い。」
「あんたぁ・・・」
「何だよ、朝ぱらから。」
「あ、いえ、なんでもありません。それでいってまいります」
「おうっよ、」
自宅の玄関先で、一泊二日の添乗ガイドの仕事に出かける奥さんと、
ゴルフ練習場へと向かう瓦屋が、右と左に別れます。
軽くびっこをひきながら、のっそりと散歩する瓦屋の後ろ姿を、
奥さんが何度か振り返っては見ています。
今朝はその顔が、いつになく嬉しそうです。
作品名:「姐ご」 10~12 作家名:落合順平