おいでおいで ―CALL CALL―
(体験者:市松(いちまつ))
階段を下りていた。
此処から図書館に行く為には、必ず二階の渡り廊下を通らなければならなかったので、二階の踊り場から廊下に出る。
すると。丁度、我(われ)が背を向ける事になる丑寅の方向の突き当たり――音楽室の(我から見て右側の)扉が少し開いている事に気付いた。
(ちゃんと閉めなかったのか、気持ちが悪い!)
我は中途半端に開けられた扉や窓をとても不愉快に感じる。ちっとも音が漏れて来ない事から、中には誰も居ない様である。
……正直面倒臭いけれど、目に付いてしまったのだから是非も無し。閉めようと近付いた。しかし途中で、思わず足を止めた。
(!)
にゅうっと、何の前触れ無く白い手が一本、扉の隙間から出てきたからである。一瞬息が止まった。
爪の形や腕の輪郭で、恐らく同性だと推測する。
「ねぇ」
高く澄んだ声。やはり同性だ。若そうだから、生徒かもしれない。
「ねぇーえ」
我が不躾に眺めている間にも呼ぶ声は止まず、肘から先がゆらりゆらりと上下に揺れている。要するに人を招く仕草。――ふと疑問が浮かんだ。
(誰? こんな時間に)
“普通の場合”ならば、放課後の音楽室から誰かの声が聞こえてきても――ああ、部活か何かだな――そう納得してしまえるのだろうが残念、此の学校に“正規の部活”は存在しない。何処かで音楽の大会があるという話も聞かないし……。
其処迄考えた時、
「ねえ」
其の怪しい声が、急に聞き馴染みのある声となって耳に入ったのだ。
(この、お声は)
「月、お姉様?」
衝動的なそれを言葉にしてしまいながらも、我は其の声に耳を傾け始めていた。新しい、悪戯なのですか?
「ねえ、ねえってば」
鼓膜を震わせる其の御声は、紛れも無く我が敬愛する花蝶風月(カチョウ・フウゲツ)御姉様のもの。しかし、まだ首を傾げさせる原因が残っている。
(どうして、今の今まで気付かなかったのだろう)
(あの人のお声なら、すぐに解せると思ったのに)
慣れ親しんだ声に一先ず安堵しつつ、それでもまだ幾らか警戒しながらゆっくりと近付いて行く。扉に近付くにつれ、声は段段と大きくなり、其れに伴って己の中の不信感も益益大きくなっていく。
(どうして、同じ言葉しか使わない?)
名前を呼んだのだから、はいだのいいえだのの返事位は返ってくるだろうに。はてさてと悩みながら、既に我は扉の三歩前まで来ていた。
「ねえ」
まだ燻っていた疑心のお陰で立ち止まれはしたが、其処から見える扉の向こうは夜の様に真っ暗で、其の白い腕しか確認出来なかった。
(夕方といっても、音楽室の中はこんなに暗かっただろうか?)
黒い暗幕は窓だけでなく扉付近にも存在する。けれど暗幕を閉めただけで此処まで?
「ねえ」
それでも聞こえて来る声は確かに御姉様のものであったし、我はもう一歩扉へ近付いた、其の時。
階段を下りていた。
此処から図書館に行く為には、必ず二階の渡り廊下を通らなければならなかったので、二階の踊り場から廊下に出る。
すると。丁度、我(われ)が背を向ける事になる丑寅の方向の突き当たり――音楽室の(我から見て右側の)扉が少し開いている事に気付いた。
(ちゃんと閉めなかったのか、気持ちが悪い!)
我は中途半端に開けられた扉や窓をとても不愉快に感じる。ちっとも音が漏れて来ない事から、中には誰も居ない様である。
……正直面倒臭いけれど、目に付いてしまったのだから是非も無し。閉めようと近付いた。しかし途中で、思わず足を止めた。
(!)
にゅうっと、何の前触れ無く白い手が一本、扉の隙間から出てきたからである。一瞬息が止まった。
爪の形や腕の輪郭で、恐らく同性だと推測する。
「ねぇ」
高く澄んだ声。やはり同性だ。若そうだから、生徒かもしれない。
「ねぇーえ」
我が不躾に眺めている間にも呼ぶ声は止まず、肘から先がゆらりゆらりと上下に揺れている。要するに人を招く仕草。――ふと疑問が浮かんだ。
(誰? こんな時間に)
“普通の場合”ならば、放課後の音楽室から誰かの声が聞こえてきても――ああ、部活か何かだな――そう納得してしまえるのだろうが残念、此の学校に“正規の部活”は存在しない。何処かで音楽の大会があるという話も聞かないし……。
其処迄考えた時、
「ねえ」
其の怪しい声が、急に聞き馴染みのある声となって耳に入ったのだ。
(この、お声は)
「月、お姉様?」
衝動的なそれを言葉にしてしまいながらも、我は其の声に耳を傾け始めていた。新しい、悪戯なのですか?
「ねえ、ねえってば」
鼓膜を震わせる其の御声は、紛れも無く我が敬愛する花蝶風月(カチョウ・フウゲツ)御姉様のもの。しかし、まだ首を傾げさせる原因が残っている。
(どうして、今の今まで気付かなかったのだろう)
(あの人のお声なら、すぐに解せると思ったのに)
慣れ親しんだ声に一先ず安堵しつつ、それでもまだ幾らか警戒しながらゆっくりと近付いて行く。扉に近付くにつれ、声は段段と大きくなり、其れに伴って己の中の不信感も益益大きくなっていく。
(どうして、同じ言葉しか使わない?)
名前を呼んだのだから、はいだのいいえだのの返事位は返ってくるだろうに。はてさてと悩みながら、既に我は扉の三歩前まで来ていた。
「ねえ」
まだ燻っていた疑心のお陰で立ち止まれはしたが、其処から見える扉の向こうは夜の様に真っ暗で、其の白い腕しか確認出来なかった。
(夕方といっても、音楽室の中はこんなに暗かっただろうか?)
黒い暗幕は窓だけでなく扉付近にも存在する。けれど暗幕を閉めただけで此処まで?
「ねえ」
それでも聞こえて来る声は確かに御姉様のものであったし、我はもう一歩扉へ近付いた、其の時。
作品名:おいでおいで ―CALL CALL― 作家名:狂言巡