舞うが如く 第五章 16~18
舞うが如く 第五章
(16)攻防は続く
慶応四年(一八六八)八月の末になると、
城下に続々と到着した政府軍によって、若松城は東・北・西の
三方面から包囲されるに至ります。
僅かに残された南の日光口方面も、次第に圧迫されるようになり、
城は、完全に包囲されるかも知れない不安にさらされてきました。
外部との連結通路の確保は、籠城戦の生命線にあたります。
籠城中の城内に食糧を搬入するためにも、また期待される米澤藩からの援軍と
連携をするためにも、外部との連絡路を確保しておく必要が
常にあるのです。
幸いなことに、会津藩としては
国境に派遣しておいた各部隊が、相次いで続々と帰城してきました。
出撃作戦を敢行するための兵力なども、充分に揃いはじめました。
やがて八月二十九日の払暁に
総反撃のために出撃することが、城内でひそかに決定をされました。
春日佐久良が率いる別撰隊を筆頭に、
小室金吾左衛門が率いる進撃隊、田中蔵人の率いる朱雀・士中二番隊。
原田主馬が率いる同三番隊、間瀬岩五郎の率いる朱雀・足軽二番隊。
辰野 源左衛門が率いる歩兵隊のほか、
田中左内の率いる砲兵隊や正奇隊も加えてその総兵力は、
十二中隊、約一千名にのぼるという出撃隊が編成をされました。
出撃の前夜、藩主松平容保より
隊員一同を励ますために酒が下賜され、城内では夜を徹しての酒宴が催されます。
八重と琴、作蔵も推挙をうけてこの出撃隊に加わりました。
翌二十九日の夜も白々と明け初めたころ、法螺貝を吹き鳴らしながら、
西出丸から融通寺町口へとその隊列が一斉に打って出ました。
(16)攻防は続く
慶応四年(一八六八)八月の末になると、
城下に続々と到着した政府軍によって、若松城は東・北・西の
三方面から包囲されるに至ります。
僅かに残された南の日光口方面も、次第に圧迫されるようになり、
城は、完全に包囲されるかも知れない不安にさらされてきました。
外部との連結通路の確保は、籠城戦の生命線にあたります。
籠城中の城内に食糧を搬入するためにも、また期待される米澤藩からの援軍と
連携をするためにも、外部との連絡路を確保しておく必要が
常にあるのです。
幸いなことに、会津藩としては
国境に派遣しておいた各部隊が、相次いで続々と帰城してきました。
出撃作戦を敢行するための兵力なども、充分に揃いはじめました。
やがて八月二十九日の払暁に
総反撃のために出撃することが、城内でひそかに決定をされました。
春日佐久良が率いる別撰隊を筆頭に、
小室金吾左衛門が率いる進撃隊、田中蔵人の率いる朱雀・士中二番隊。
原田主馬が率いる同三番隊、間瀬岩五郎の率いる朱雀・足軽二番隊。
辰野 源左衛門が率いる歩兵隊のほか、
田中左内の率いる砲兵隊や正奇隊も加えてその総兵力は、
十二中隊、約一千名にのぼるという出撃隊が編成をされました。
出撃の前夜、藩主松平容保より
隊員一同を励ますために酒が下賜され、城内では夜を徹しての酒宴が催されます。
八重と琴、作蔵も推挙をうけてこの出撃隊に加わりました。
翌二十九日の夜も白々と明け初めたころ、法螺貝を吹き鳴らしながら、
西出丸から融通寺町口へとその隊列が一斉に打って出ました。
作品名:舞うが如く 第五章 16~18 作家名:落合順平