The El Andile Vision 第3章 Ep. 5
「では、どうか最後の別れを……ランス・ファロン・ロシュタット様」
聖杯を手に持った司教が最初に正嫡子ランス・ファロンの名を呼ぶと、人々の間に一瞬ほう、という吐息が洩れていくのがわかった。
この大葬の式の場で、最初に故人の棺に聖水を注ぐということは、自らがその後継者である旨を高らかに宣言しているも同然であった。
当然わかってはいたものの、これまでの勢力抗争の経緯を知っている人々の中には、何となく複雑な思いが去来していたに違いない。
彼らの間には、どうしてもある種の緊張感が高まらないわけにはいかなかった。
そんな会場の雰囲気を感じ取ったものかどうか、ランス・ファロンは平然と前へ進み出た。
中央の階段から壇上へ上がり、衆目が見守る中、司教から受け取った聖杯の中身を、儀式ばった動作でゆっくりと棺の中へ注ぐ。
普段は何かと軽く見られがちな彼も、さすがにこの時ばかりは正嫡子としての自覚もあってか、その挙措動作はいつも以上に堂々としており、威厳をさえ感じさせるものだった。
空になった杯を司教に戻すと、再び元の位置まで戻っていく。
「では、ザーレン・ルード・ロシュタット様――」
司教は、次に視線をザーレン・ルードに振り向け、重々しく呼名した。
ザーレンは無表情にそれを受け止め、傍らの兄に軽く会釈すると、前へ進み出ようとした。
が、そのとき――
突然音楽が止んだ。
「――お待ちを……!」
凛とした声が、堂内の空気を鋭く貫いていった。
誰か……と思う間もなく、その声の主が颯爽と中央通路に歩み出て、ザーレン・ルードの行く手に立ち塞がった。
「――ユアン・コーク……」
ザーレンは、そんなユアンに誰何するような鋭い視線を向けた。
ざわっと、会堂内に動揺が広がった。
「ユアン・コーク……何事か。この神聖なる席で――」
通路を挟んで反対側の前列に席を占めていた従兄弟の突然の行動に、ランスは訳がわからず、困惑の色を浮かべている。
しかし、ユアンは周囲の動揺をよそに、驚くほど冷静な面持ちで、会堂内をさっと一望した。
そして、最後に再びザーレンの元に視線を戻した。その唇の端が僅かに上がったかにみえた。
「その前に、ザーレン・ルード様に、是非ともお聞きしたき一事がございます」
ユアンは、明瞭な声でそう切り出した。
「ユアン殿!……何も今、聞かねばならぬことでもあるまい。控えるがよい――」
後方に控えていた年配の武人タリフ・プラウトが、たまりかねたように口を差し挟んだ。
彼は、かつて故州侯ザグレブ・ラファウドを力強く支えてきた右腕でもあり、半ば朋友のような存在でもあった。
アルゴン騎兵隊の先頭に立つ第一騎兵隊を束ねてきた豪腕の武人として名高かった人物でもある。
州侯が引き込むようになってから、自らも引退し、息子に後を委ねてはいたが、まだその意気軒昂さはいっかな衰えてはいなかった。
しかし、ユアンはそんなタリフの厳しい視線にも、全くひるむ様子もなかった。
「……非礼は承知の上。だが、今どうしてもこの場で――このザグレブ侯のご遺体の前で、はっきりとさせておかねばならぬ一事であるゆえ……」
「今は神聖な大葬の儀式の最中であるぞ!侯のご霊前であるというに――一体何を考えて……!」
「――いや!」
タリフ・プラウトがなおかつ眉を吊り上げて怒鳴りつけようとするのを、ザーレンが鋭く抑えた。
「何のことかはわからぬが、余程重要なこととみえる。かまわぬ。今、この場で申し立てられよ!」
ザーレンの言葉は、研ぎ澄まされた刃物のような鋭い響きを含んでいた。
そこに感じ取れる、どことなく切迫した声の調子が、ざわめきかけた堂内を再びしんと静まり返らせた。
それは、この因縁に繋がれた二人の、最後の対決ともなり得る運命の一幕が今まさに切って落とされようとしている……そんな予兆を感じさせるような、緊迫した沈黙の一瞬であった。
作品名:The El Andile Vision 第3章 Ep. 5 作家名:佐倉由宇