きのう・きょう・あした
「きのう、きょう、あした」
中原 正光
「恋は、遠い日の花火じゃない・・・かぁ・・・」
テレビを見ていた正彦が、突然ポツンとつぶやいた。
「えっ!なんて言ったの」
台所で、夕食の後片づけをしている範子が大声で聞き返した。
「いや、あの長塚・・なんとかさんがやっているテレビCMだよ・・」
「それが、どうしたの?」
「わしらと同じおじさんが、若い女の子からそれとなく思いを寄せられる、というCM
だろう。いいなぁ〜と、思って、さ」
「なに言ってんのよ、あれはかっこいいおじさんだから絵になんのよ。あんたみたいに
かっこ悪くて、お金無くて、地位もない、おっさんに、若い子が関心もつ、はずがな
いでしょう!」
「ずいぶんひどい言い方だな。これでも昔は少しはもてたのに」
「誰にぃ〜?。冗談はいいから、あんた、今日は9時からなんたらちゅうインターネッ
トのなんかが、あるんじゃないの?」
「そうだった、KISというインターネットの放送局が仮開局するんだ。もうすぐ9時だな」
「そう、どいてどいて」
片づけを終えた範子が、9時から始まる洋画を見るためにリモコンでテレビのチャンネルを
変えてしまった。
「また、洋画か? 好きやな・・・」
「あんたは、洋楽ばかし、私は洋画が大好き、いけない?」
「いけなくは、ないけど、歳とって二人だけになっても会話が噛み合わないんじゃない
かな、と思って・・・」
それには、答えず洋画のタイトル映像に集中してしまった範子を残して、正彦はパソコン
のある部屋へ移動した。
今年で48才になる正彦は、北九州市小倉北区の中小企業に勤めるサラリーマンである。
会社でも、コンピューターシステムの仕事をしている関係でパソコンには詳しく、2年前から
インターネットにも接続して、個人的なホームページも作って楽しんでいるとこである。
たまたま、半年前に、地元の有志で組織しているインターネットのグループに参加しては
いるが、活発にメンバー間でやり取りされるメールを、ただ読んでいるだけで、これと言って
積極的に参加している訳ではなかった。これを、パソコン通信やメーリングリストの世界では
ROM(ロム)(ReadOnlyMember)と読んでいる。正彦もまだこの時点ではROM状態だった
のである。
パソコンの電源を入れてWindows95の画面が立ち上がるのを待ちながら、さきほどの
「恋は、遠い日の花火・・・」を考えていた。
(少し、歳を取りすぎたかな?)
しばらくして、画面が立ち上がったところで、インターネットのアイコンをクリックしてインター
ネットに接続を開始した。WWWブラウザ(※インターネットを見るための画面)が表示された
とこで、あらかじめメールに書いてあったKISの仮放送局があるURL(※ホームページを
特定する住所みたいなもの)を打ち込み、エンターキーを押すと、やや時間を置いてKISの
仮放送局の見出しページが表示されはじめた。会社はNTTのデジタル回線を使ってるので、
まあまあそれなりのスピードで画面表示されるが、自宅は昔ながらのアナログ回線なので、
若干イライラしながら画像が表示されるのを待つことになる。
KISとは北九州地区のネットワーク市民団体(NFK)と下関地区のネットワーク市民団体(SIS)
とが共同で計画している放送局で、RealAudioというソフトを使って街のいろいろな音や話題を
発信していこうというものである。
最初のページは北九州側と下関側の、それぞれのページへの分岐点になっている。
やはり北九州の人間なので、北九州側へ案内するアイコンをクリックすると北九州側の
コンテンツメニューが表示された。
(う〜ん、KIS開局の挨拶やら、お客さんの挨拶が聴けるのか・・・
とりあえず、Contentsの項目の最初の「街角の話題」を見てみることに
しよう・・・・)
「街角の話題」のボタンを選ぶと、今度は「街角の話題」の内容6件のメニューが表示される。
(最初は北九州市議選 の話題だ・・・とりあえず聴いてみよう・・・)
Realと書かれたアイコンをクリックすると、ややあって、女性の声でこの年の1月26日に行われた、
北九州市議会議員選挙の話題が聞こえてきた。33才の現役女子大生が草の根選挙運動が実を
結んで見事当選したというものであった。
(このアナウンスを担当してる人も会のメンバーじゃなかったかな? 素人にしては、 とっても
上手にしゃべっているなぁ、いや素人じゃないのかな?・・・じゃ、次は2 番目の和布刈神事の
話題だ・・ ・)
同じようにRealと書かれたアイコンをクリックすると、別の女性の声で毎年旧暦の正月にあたる
2月8日の早朝に門司の和布刈【めかり】で行われるワカメ採り神事のことが案内されていた。
(このアナウンスを担当している人も、きれいな声で、いいじゃん・・・じゃ、次は3番目のマルチ
メディアフォーラムの話題だ・・・)
おなじように、ぶつぶつ言いながら3番目・4番目・5番目と聴いてきた。
(最後のきのう、きょう、あした・・・か、何だろう、これ?)
最後の行のRealと書かれたアイコンをクリックすると、一番目の話題と同じ女性の声で同じように
記事が朗読されたあと、初めて聴く曲が流れてきた。
(・・・・わぁ〜、何ちゅうきれいな声、きれいなメロディ・・・誰が歌ってるの?曲をつけたのは
渡辺ともこさんとか、云ってたけど、誰なんだろう・・・バックで男性も歌ってる。詩を書いたのは
大石さん? 筋ジストロフィーって? 聞いたことはあるけど、正確には知らない。へ〜え、世の
中には知られていないいい曲があ るもんだ・・・)
まだまだ、見る所、聴く所がいっぱいあるので、とりあえずこのページは終わることにして次の
ページへと、移っていった。下関側のページにも下関音楽人の会のページでピアノや
クラシックギターの演奏が聴けるようになっていた。
(音楽好きの自分としては、結構満足満足・・・)
「あ〜た!、風呂よ、風呂。もう2時間くらいパソコン使いっぱなしでしょう?」
「う〜ん、そろそろ、今日は終わるか」
電話代が増えるのを心配する、一般的な主婦のパターンにへきえきしながら、パソコンの電源を
落とした。
のんびりと、湯舟に浸かりながら先ほどの、インターネット放送局のことを漠然と考えていた。
どうしても、あの街角の話題の中にあった「きのう、きょう、あした」というコーナーが気になっていた。
(風呂から上がったらもう一度あの部分だけ聴いてみよう・・・)
正彦の場合、いくら本人がゆっくりと、のんびりと風呂に浸かったつもりでも、20分もあれば十分で、
早いときはほんとうに3分で上がってしまうこともある。今日も何となく気の急くまま、10分ほどで
中原 正光
「恋は、遠い日の花火じゃない・・・かぁ・・・」
テレビを見ていた正彦が、突然ポツンとつぶやいた。
「えっ!なんて言ったの」
台所で、夕食の後片づけをしている範子が大声で聞き返した。
「いや、あの長塚・・なんとかさんがやっているテレビCMだよ・・」
「それが、どうしたの?」
「わしらと同じおじさんが、若い女の子からそれとなく思いを寄せられる、というCM
だろう。いいなぁ〜と、思って、さ」
「なに言ってんのよ、あれはかっこいいおじさんだから絵になんのよ。あんたみたいに
かっこ悪くて、お金無くて、地位もない、おっさんに、若い子が関心もつ、はずがな
いでしょう!」
「ずいぶんひどい言い方だな。これでも昔は少しはもてたのに」
「誰にぃ〜?。冗談はいいから、あんた、今日は9時からなんたらちゅうインターネッ
トのなんかが、あるんじゃないの?」
「そうだった、KISというインターネットの放送局が仮開局するんだ。もうすぐ9時だな」
「そう、どいてどいて」
片づけを終えた範子が、9時から始まる洋画を見るためにリモコンでテレビのチャンネルを
変えてしまった。
「また、洋画か? 好きやな・・・」
「あんたは、洋楽ばかし、私は洋画が大好き、いけない?」
「いけなくは、ないけど、歳とって二人だけになっても会話が噛み合わないんじゃない
かな、と思って・・・」
それには、答えず洋画のタイトル映像に集中してしまった範子を残して、正彦はパソコン
のある部屋へ移動した。
今年で48才になる正彦は、北九州市小倉北区の中小企業に勤めるサラリーマンである。
会社でも、コンピューターシステムの仕事をしている関係でパソコンには詳しく、2年前から
インターネットにも接続して、個人的なホームページも作って楽しんでいるとこである。
たまたま、半年前に、地元の有志で組織しているインターネットのグループに参加しては
いるが、活発にメンバー間でやり取りされるメールを、ただ読んでいるだけで、これと言って
積極的に参加している訳ではなかった。これを、パソコン通信やメーリングリストの世界では
ROM(ロム)(ReadOnlyMember)と読んでいる。正彦もまだこの時点ではROM状態だった
のである。
パソコンの電源を入れてWindows95の画面が立ち上がるのを待ちながら、さきほどの
「恋は、遠い日の花火・・・」を考えていた。
(少し、歳を取りすぎたかな?)
しばらくして、画面が立ち上がったところで、インターネットのアイコンをクリックしてインター
ネットに接続を開始した。WWWブラウザ(※インターネットを見るための画面)が表示された
とこで、あらかじめメールに書いてあったKISの仮放送局があるURL(※ホームページを
特定する住所みたいなもの)を打ち込み、エンターキーを押すと、やや時間を置いてKISの
仮放送局の見出しページが表示されはじめた。会社はNTTのデジタル回線を使ってるので、
まあまあそれなりのスピードで画面表示されるが、自宅は昔ながらのアナログ回線なので、
若干イライラしながら画像が表示されるのを待つことになる。
KISとは北九州地区のネットワーク市民団体(NFK)と下関地区のネットワーク市民団体(SIS)
とが共同で計画している放送局で、RealAudioというソフトを使って街のいろいろな音や話題を
発信していこうというものである。
最初のページは北九州側と下関側の、それぞれのページへの分岐点になっている。
やはり北九州の人間なので、北九州側へ案内するアイコンをクリックすると北九州側の
コンテンツメニューが表示された。
(う〜ん、KIS開局の挨拶やら、お客さんの挨拶が聴けるのか・・・
とりあえず、Contentsの項目の最初の「街角の話題」を見てみることに
しよう・・・・)
「街角の話題」のボタンを選ぶと、今度は「街角の話題」の内容6件のメニューが表示される。
(最初は北九州市議選 の話題だ・・・とりあえず聴いてみよう・・・)
Realと書かれたアイコンをクリックすると、ややあって、女性の声でこの年の1月26日に行われた、
北九州市議会議員選挙の話題が聞こえてきた。33才の現役女子大生が草の根選挙運動が実を
結んで見事当選したというものであった。
(このアナウンスを担当してる人も会のメンバーじゃなかったかな? 素人にしては、 とっても
上手にしゃべっているなぁ、いや素人じゃないのかな?・・・じゃ、次は2 番目の和布刈神事の
話題だ・・ ・)
同じようにRealと書かれたアイコンをクリックすると、別の女性の声で毎年旧暦の正月にあたる
2月8日の早朝に門司の和布刈【めかり】で行われるワカメ採り神事のことが案内されていた。
(このアナウンスを担当している人も、きれいな声で、いいじゃん・・・じゃ、次は3番目のマルチ
メディアフォーラムの話題だ・・・)
おなじように、ぶつぶつ言いながら3番目・4番目・5番目と聴いてきた。
(最後のきのう、きょう、あした・・・か、何だろう、これ?)
最後の行のRealと書かれたアイコンをクリックすると、一番目の話題と同じ女性の声で同じように
記事が朗読されたあと、初めて聴く曲が流れてきた。
(・・・・わぁ〜、何ちゅうきれいな声、きれいなメロディ・・・誰が歌ってるの?曲をつけたのは
渡辺ともこさんとか、云ってたけど、誰なんだろう・・・バックで男性も歌ってる。詩を書いたのは
大石さん? 筋ジストロフィーって? 聞いたことはあるけど、正確には知らない。へ〜え、世の
中には知られていないいい曲があ るもんだ・・・)
まだまだ、見る所、聴く所がいっぱいあるので、とりあえずこのページは終わることにして次の
ページへと、移っていった。下関側のページにも下関音楽人の会のページでピアノや
クラシックギターの演奏が聴けるようになっていた。
(音楽好きの自分としては、結構満足満足・・・)
「あ〜た!、風呂よ、風呂。もう2時間くらいパソコン使いっぱなしでしょう?」
「う〜ん、そろそろ、今日は終わるか」
電話代が増えるのを心配する、一般的な主婦のパターンにへきえきしながら、パソコンの電源を
落とした。
のんびりと、湯舟に浸かりながら先ほどの、インターネット放送局のことを漠然と考えていた。
どうしても、あの街角の話題の中にあった「きのう、きょう、あした」というコーナーが気になっていた。
(風呂から上がったらもう一度あの部分だけ聴いてみよう・・・)
正彦の場合、いくら本人がゆっくりと、のんびりと風呂に浸かったつもりでも、20分もあれば十分で、
早いときはほんとうに3分で上がってしまうこともある。今日も何となく気の急くまま、10分ほどで
作品名:きのう・きょう・あした 作家名:中原 正光