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吉葉ひろし
吉葉ひろし
novelistID. 32011
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杏の樹

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小さな一戸建ての借家であったが、その庭には一本の花の咲く木があった。
僕が小学3年生のころであり、その花からは何の木であるか解らなかった。
父か母に聞けば教えてくれただろうが、訊ねる気も無かった。
薄いピンク色の花は梅の花かと思っていた。
花が終わった頃、洗濯ものに毛虫が付いていて、母が大騒ぎをして、僕に取るように言いつけた。
僕も毛虫は嫌いであったが、母が頼りにしてくれた男であると思い、新聞紙で毛虫を包んだ。
「つぶして殺すのよ」
言われるまま指先に力を入れた。
新聞紙に何かが沁み出た。
「庭で燃やして・・」
僕はマッチで火を点けた。
新聞紙のなかに毛虫がいるのかどうか、火はボーっと明るくなるとすぐに消えた。
「洗濯物全部調べてね」
母は僕にまた言いつけた。
「毛虫なんか怖くないよ」
僕は遊びに行きたくて母にそう言った。
「毛虫に刺されたら痒くて大変なのよ」
僕は仕方なく、洗濯ものをパタパタとはたいてみた。
その夜、父と母が
「あの杏の樹は切れないのかしら」
「大家さんに聞いてみるよ」
と話していたので、あの美味い杏の木かと思った。


杏の木はいつになってもそのまま立っていた。
洗濯物は他の場所に干すことになった。
どうしたことか、杏の実がならないうちに、その家を引っ越すことになった。
僕は気に入っていたのだが、母が言い出したらしい。
学校が転校にならないようにとすぐ近くに引っ越したのだった。
僕はどうしても杏の実を食べてみたかった。
でもその家には知らない人が住んでいた。
木には実が付いていたが取ることはできなかった。
庭の外に落ちていた黄色と赤色の混ざった実を拾い、手で汚れを落として、
かじってみたが美味くはなかった。
大人になってもその頃の夢を見る。
夢のなかの杏は甘くて美味いのだ。
作品名:杏の樹 作家名:吉葉ひろし