舞うが如く 第四章 10~12
舞うが如く 第四章
(10)会津西街道
会津西街道(あいづにしかいどう)は、
江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備された、
下野(しもつけ・栃木県)の今市から、
会津の若松城下に至るまでの街道のことです。
栃木県日光市今市(旧今市市)から
福島県会津若松市までの全長は130km余りに及び、
現在の国道121号、福島県道131号下郷会津本郷線に沿っています。
会津西街道とは関東側からの呼びかたで、
会津側からは、南山通り(みなみやまどおり)、
あるいは下野街道(しもつけかいどう)などと称されています。
江戸時代には会津藩の参勤交代や、
会津と江戸を結ぶ物流の道として重要な街道でした。
現在、街道筋に残る大内宿には、往事の町並みや建造物が残されており、
重要伝統的建造物群保存地区として、選定されています。
また、福島県下郷町の国道121号にある楢原宿から
倉谷宿、大内宿、大内峠を経て氷玉峠(下郷町、会津若松市および会津美里町の境界付近)
に至る経路には、石畳などの旧街道の跡が、
いまでも克明に残されています。
(10)会津西街道
会津西街道(あいづにしかいどう)は、
江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備された、
下野(しもつけ・栃木県)の今市から、
会津の若松城下に至るまでの街道のことです。
栃木県日光市今市(旧今市市)から
福島県会津若松市までの全長は130km余りに及び、
現在の国道121号、福島県道131号下郷会津本郷線に沿っています。
会津西街道とは関東側からの呼びかたで、
会津側からは、南山通り(みなみやまどおり)、
あるいは下野街道(しもつけかいどう)などと称されています。
江戸時代には会津藩の参勤交代や、
会津と江戸を結ぶ物流の道として重要な街道でした。
現在、街道筋に残る大内宿には、往事の町並みや建造物が残されており、
重要伝統的建造物群保存地区として、選定されています。
また、福島県下郷町の国道121号にある楢原宿から
倉谷宿、大内宿、大内峠を経て氷玉峠(下郷町、会津若松市および会津美里町の境界付近)
に至る経路には、石畳などの旧街道の跡が、
いまでも克明に残されています。
作品名:舞うが如く 第四章 10~12 作家名:落合順平