舞うが如く 第四章 4~6
舞うが如く 第四章
(4)山南の脱走
壬生から五条通をこえて南に行くと、島原遊郭へ出ます。
島原で遊ぶとなるとかなりの出費です。
馴染みの芸妓を持ち、盛大に宴会を開いたりするのは、
新撰組でも幹部たちだけの特権でした。
また島原の太夫は、江戸吉原の花魁などとは格が違い、
お公家さんの子女などもいて、
教養に溢れた女性たちがほとんどです。
そこから遊郭の大門を出て、花屋町通を東に向かうと、
西本願寺に到着をします。
隊士たちが200名を越えた新撰組が、
手狭となった壬生の屯所から、ここの西本願寺へ、
本拠を移す計画が持ちあがりました。
なにかにつけて、幕府と敵対する長州藩と、
西本願寺には、特に密接な縁が有りました。
先の「蛤ご門の変」でも、敗走する長州藩士30名余りを坊主にして
匿ったという逸話が残っています。
尊王攘夷思想から今では幕府の用心棒となり、
勤皇の志士達への弾圧と、殺害に奔走しはじめた新撰組が、
次に選んだ屯所が、長州藩の影響を排除を狙っての
西本願寺の境内でした。
局長の山南敬助が、これに異を唱えました。
(4)山南の脱走
壬生から五条通をこえて南に行くと、島原遊郭へ出ます。
島原で遊ぶとなるとかなりの出費です。
馴染みの芸妓を持ち、盛大に宴会を開いたりするのは、
新撰組でも幹部たちだけの特権でした。
また島原の太夫は、江戸吉原の花魁などとは格が違い、
お公家さんの子女などもいて、
教養に溢れた女性たちがほとんどです。
そこから遊郭の大門を出て、花屋町通を東に向かうと、
西本願寺に到着をします。
隊士たちが200名を越えた新撰組が、
手狭となった壬生の屯所から、ここの西本願寺へ、
本拠を移す計画が持ちあがりました。
なにかにつけて、幕府と敵対する長州藩と、
西本願寺には、特に密接な縁が有りました。
先の「蛤ご門の変」でも、敗走する長州藩士30名余りを坊主にして
匿ったという逸話が残っています。
尊王攘夷思想から今では幕府の用心棒となり、
勤皇の志士達への弾圧と、殺害に奔走しはじめた新撰組が、
次に選んだ屯所が、長州藩の影響を排除を狙っての
西本願寺の境内でした。
局長の山南敬助が、これに異を唱えました。
作品名:舞うが如く 第四章 4~6 作家名:落合順平