充溢 第一部 第二十一話
第21話・5/5
知らぬ間に眠っていた――何故か別の部屋にいる。誰かが運んでくれたのだろうか。
静かな客用の寝室。ここに泊まったのは何度目だろう。
デボス加工された萌黄色の壁紙が目に優しい。
その日の始まりを教える陽の光が、壁紙に生気を与えていた。
部屋を出ると、ポーシャは泣き出しそうな顔をしながら、それでも威厳をなんとか維持しようと務めていた。
「大した男だ。
優れた男は女の意のままにならず、意のままになるのはその次に位置する男でしかない、とはよく言ったものだな」
ポーシャの評はそれだけだった――マクシミリアンがネリッサを誘拐したのだ。
彼女には男の手口を考えようとすれば、たちまち泣き出すような予感がまとわりついていた。
この緊急時に、知り合いとは言え、外部から入ってくる人間を疑わなかったのが、間違いの始まりだ。
厳戒態勢のこの屋敷に忍び込み、何食わぬ顔で私と問答し、私を眠らせ、一人の女を連れ出す。すっかり騙されていた。
昨晩の面倒臭い話だって、彼の経歴からすれば、ずっとおかしなものだ。
全員が騙されていた。この時の為に全てを偽っていたのだ。アントーニオに出逢う頃から。
「陽動の矢を射ったと得意げにしていたら、その実、儂が射抜かれていた」
彼はあらゆる痕跡を残さなかった――趣味のない詰まらない男とは、それが残らなくて不自然でない人間と言うことなのだ。
何も残らない故に、すっきりした印象まで与える。
大きなものがぽっかり開いているというのに、一段落ついてしまったような景色が見えた。
※優れた男は女の意のままにならず、意のままになるのはその次に位置する男でしかない
「ローマ人の物語」より
作品名:充溢 第一部 第二十一話 作家名: