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充溢 第一部 第二十一話

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第21話・2/5


 元修道院。門から入ってそのまま突き当たりのホール――かつての礼拝堂は、僅かな蝋燭のみで暮れなずむ闇を、大気から吸い込み続けていた。椅子も何も残らぬがらんどうの空洞が、暗影を海綿のように肥らせたのだ。
「よくも欺いてくれたな。東の魔女」
 ラッテンファンガーは例の趣味の悪い仕事着を着て、自信満々だった――少年の中の黒い部分だけ残して大人になるとこうなるのだろう。
 ミランダは椅子に縛り付けられ、薬でも飲まされたのか顔を落としている。
 調べもせずに拐かしたのは相手の方だ。人の所為にしやがって。
「人違いと分かったなら、その女を返せ。
 頭のネジがやや緩いが、いい嫁さんになれそうな女だ。可哀想ではないか」
 男は、可哀想という言葉に反応し、鼻で笑い、こちらを睨み付けた。
「儂はロリコンでないのでね。いい年頃の女も可愛く見えるのだよ。
 所で、何を今更、ネリッサに用がある」
 男は言う、ネリッサは元々自分達の持ち物だったのに、儂が奪ったのだと。あの可愛いネリッサを物扱いするとは許しておけないな。
 儂は知っている。あの時期に沢山の子供や若者が誘拐されたことを。彼女もその一人である事に疑いの余地はない。返すというなら、元の家族の所へ返さなければならないのだ。儂も彼女が欲すればそうしなければならない。
 男は、彼女は元の人形に戻ることを望むという。他の大勢の子供達が人形になる事を望んだように。この病んだ街の中では、殆どの子供が望まない生、消費されるだけの生を突きつけられ、甘んじている。
 彼の言いたい事は、"全てを得る事が出来なければ、何一つない方がよい"と言う事か――病んでいるのは街ではない。人が人として育てられないのに腹を立てるならば、親を殴りに行けば良いことだ。男の言う事は、全て嘘にしか聞こえない。実験台の為に子供を殺しているのだから。
 人形は死体ではない。存在を望む者の存在そのものだと反論した。そして、高らかに宣言する。
「精神は肉体の軛から解き放たれなければならないのだよ」
 笑うしかない。知った口で何を言うかと思えば……何が精神の自由だ。精神こそが肉体を、存在を拘束していると言うのに。
「価値を引っこ抜いておいて、穴埋めをしないとはどういう了見だ」
 彼らは、人が世界を見るときに用いる物差しを否定しておきながら、別の物差しを持ってこない。だから、人形に肉体を押し込めて誤魔化すのだ。
 男は笑われたのが気に入らないのか、怒りを込めて反論する。
「そうして、灰色な人生を嘲笑い、それを量産するのか? この街はまるでパン焼き窯だ」
「パン焼き窯はお前達の方だろ。ねじったり、潰したり、中身を変えたりして、これこれは特徴的なパンだと喜んでいるだけだ。そんなものは、存在のそもそもの性質には、何の関わりもない事だ。
 人は、それらの風変わりなパンを喜ぶだろう。お前達は、それを作って、我こそはと自分の心を喜ばすのだ。
 畢竟、その権力を独り占めしたいが為に、他の者達に――お前達の言う灰色な人生を送る者に、それらしい価値を見せているだけだ。
 その点だけで言えば、お前は儂と同じだよ。問題に自覚的でないと言う部分が決定的に違うだけで」
 男の表情は強張ったままだ。聞く耳を持たなかったのか、理解出来なかったのか?
 憎しみを込めた目線を焦がしながら、彼は人形を差し出せと――ネリッサを再び要求した。その苛立ちは暗い中でもよく分かる。自身は気付いているだろうか。
「そんなに焦る事かね? 今まで何年も待っていられたと言うのに。まさか、前任者のように子供を切り刻みたいと願っているだけかね? 我慢の限界かね?」
 煽り続けると、男は笑いを漏らし、何故、自分を怒らせるのか――自分が失点を犯すのを待っているのだと、儂の目論見を暴いて見せた。
「悪いな。その通りだ。
 儂は、まだまだ甘いな」
 男から視線を外して、左右を彷徨く。
「自分の甘さに痛感したなら、それをさっさと出せ」
 先の得意げな笑いは何処へ行ったか、苛立ちは更に強く放射されている。
 苛立ちたい気持ちはこちらにだってある。何故、今になって焦るのだろう。もっと、しっかり準備をすれば、こんな馬鹿な目にも遭わなかっただろう。
 相手は素直に答える馬鹿がいるかと毒付く。頭を必死に掻く姿が気の毒に見える。
「悪かったよ――ああ、儂も頭が悪いな。
 単にネリッサだけが狙いなら、スィーナーを誘拐しなかった事に言及するはずがないのに……」
 核心を突かれたのか、遂に男はミランダを手に掛けると脅し掛けてきた。
 本当にそうしていいものかしら――挑発的に首をひねり、哀れなものを見る目線を投げかけてやる。
 風切り音。
 クロスボウの矢が飛び抜ける声がした。

 背後に隠れた近衛騎士団の男が、儂の肩越しに狙撃したのだ。
 矢は男の逆側の頬を掠めて飛び去る。

 時を同じくして、焦げ茶色の革の鎧――闇を纏った男が、そのヴェールの中から飛び出す。
 藪から猪に襲われるように、ラッテンファンガーは突かれた。
 椅子と女を鳶のように攫っては、円弧を描いて離れた。

「観念するんだな……」
 男はくずおれる。
 お約束の自爆も考えていたようだ。点火の仕組みは、儂が時間を作っているうちに全て取り除かれていた。

 高らかに勝利の悦びを宣言しよう。男に歩み寄り、彼に向けて言葉を継ごうとするときそれに気付いた。
「またやってしまったな」
 つるばみ色の世界に、黒檀が差された――地面に這いつくばる腕が力を失うと、頭部を中心に血溜まりが広がるのが見える。
 浜辺の波から逃げるように、足をどけ、踵を返す。


 騎士団の面々が揃い始めてきた。
「大変結構だ。有難う」
 立ち止まり、フェルディナンドを見つめる。
「稚拙な戦略家ほど満点の計画しか考えないものだ」
 フェルディナンドがすかさずフォローしてくれる。及第点は取れていると……確かに失うものはなかった。しかし、ここまでして、何を得たというのだ。
「借りを作ってしまったな。
 今日のところは失礼」

 ミランダは馬車の中に運び込まれていた。
 息はしているので、大丈夫だろう。眠ってくれていたお陰で、上手く行った。
 この娘の寝顔を見ても、沈痛な気持ちは拭い去れないでいる。
作品名:充溢 第一部 第二十一話 作家名: