充溢 第一部 第十八話
第18話・8/8
「で、何の用だったんだ?」
シザーリオは、声を潜めて問いかける。
「工房でお話ししましょう。変な聞き耳がないとも限りませんし……夕食も一緒に食べましょう」
なるべく無感情に答える。
「いや、これから屋敷に戻らなければ」
冷たい表情のままだ。屋敷に戻るのが相当嫌らしい。
「どうせ着替えられないんでしょ」
「スィーナー様!」
意図を読んで、ネリッサが抱きついてきた。男装に疲れて来ているのだろう。女声を出して喜ぶ。
その格好で、その呼び方をされるのは、いろんな意味で拙い。急いでやめさせる。
男声で、復誦するとき、また"様"付けで呼ぼうとして、言いかけたところで口を紡ぐ。その時の仕草は、メイドそのままだったので、なんともお茶目だ。
「だから、呼び捨てでいいですよ――戻るまでは」
買い物の荷物はシザーリオが持った。後から見れば、立派な夫婦だ。噂話は強化されることになるが、どうにでもなればよいのだ。
長い影が工房まで寄り添っていた。
服はアントーニオに探してもらった。今、ネリッサは変な男に追い回されているから、暫く工房に身を寄せるというあり得ない理由を、どうにかこうにか信じてもらうことにした。
恐らくシザーリオの正体は見破っているだろう。我に誓った『彼に惨めな思いはさせるものか』と。
シザーリオとの噂はこんなに広がるのに、アントーニオとは大きな噂にならないと言うのも、やや癪ではあるが、身の回りの状況はそれどころではなかった。
いつから、こんなに自分はおせっかいな人間だっただろうか? 無駄に二つの問題を抱えて……きっかけはあるにせよ……
工房に戻り、二人落ち着く。
ネリッサはミランダという女の人をどうするつもりなのだろうか? 夕食時に回答を迫る。
彼女は苛立ちを隠さず、こんな事はすぐにでも止めたいと語った。
調子よく男装している人がよく言えることだとからかうと、頬を赤らめながら手向かった。
「そうかね?」
ポーシャの口真似をする。ネリッサが目を見開くのを眺めると、笑いを我慢できなくなる。
膨れるネリッサを横目に、ひとしきり笑い転げた後、詰め寄る。
「あの人、結構本気ですよ。生半可な断り方じゃ聞かないでしょうね」
真剣な顔をして訴えてみると、身を強張らせて怯える。表情も愛らしいので、余計に突っ込んでみる。
「可愛さ余って憎さ百倍って事もありますよ」
――それにしても。ポーシャは落とし所を何処に持ってくるつもりだろう。
作品名:充溢 第一部 第十八話 作家名: