充溢 第一部 第八話
第8話・7/7
馬車の中には、茜色の陽光が差して、暗闇の世界とを鋭く分けていた。
屋敷を後にすると、労いの言葉を皮切りに、魔女は語り始めた。
「公爵とエリザベッタとの子供が殺された話をしたよな。
その時、子供を生き返らせると言い出した男が現れたそうだ。
儂は、この話を聞いた時、特定の毒の存在が頭に浮かんだ。人を仮死状態にする毒の事を。
恐らく、エリザベッタを嫌う連中と、公爵から代金の二重取りを考えたんだろうな。
手を汚さずに仕事が出来るんだから、頭のいい奴だよ。天使をも出し抜いて天国に行けるような種類の人間だな。
しかしな、生き返らせる約束をした翌日に来たのは、別の医者だった。
その姿を見ることも叶わなかったが、聞く話ではなかなかの好青年だったらしいよ。
その好青年、娘は手遅れだと言い出した。
冷静に考えれば妙にタイミングが良すぎるが、この言葉に皆合点がいってしまったらしい。
最初に約束した男は、約束が果たせないと見るや、一目散に逃げたとな。
医者は生き返らせる代わりに、この姿のまま保存させる事が出来ると言い出し、そしてそいつをやってのけた。
それが今のフランチェスカだ。男はこの機に乗じて、自分の技術を試したかったのかな」
顎より下が強く照らし出される所為で、顔は暗くて表情が読み取れない。
「具体的に何をやったのですか?」
「何を使ったのかはよく分からないが、血液が血液でない何かに変わっていた。内臓もどうかされているかも知れない。
例えばチューブの入り口だよ。傷跡も残さずに、何をやったのか分からん。悪魔が本当にいるなら、その仕業と信じてもいいかもな」
魔女がいるのだから、悪魔もいるだろう。意味もなく意地悪を言いたくなる。
「歳を取らない少女が何を言いますか」
「自分自身の事はそれほど不思議にならないものだ。
お前だって、その心臓が何故、拍動しているか不思議で怖くならないかね?」
こう言われては、唸ってみせる事しか出来なかった。
「おっと、他の事を考える前に話しの続きを聞けよ」
再び、顔を見合わせる。
「私は彼女の血液を洗浄している。
何年掛かるか分からないが、彼女を救いたいんだ。手伝ってくれるかね?」
「私に出来る事なら……あるでしょうか?」
自信なさげに応じる自分の癖が恥ずかしい。
「お前なら適任だ。
人間の心の問題は測れないが、医学や錬金術ならまだ測れる余地があるからな」
静かに頷いた。
「ところで、そのお医者さんってどうなったんですか?」
「暫くこの街に居着いたが、儂が感づいて探りを入れたら消えちゃってねぇ」
ポーシャの調子が突然砕ける。多分、核心に触れるつもりのない内容なのだ。
「何にせよ、公爵は人形の出来に喜んだ。周囲の人間にしたって、下手に生き返られると困るし、このお蔭で、真面目に仕事をしてくれるようになるなら、それで良いと判断した。
労せずに、手に入ったものは簡単に天の恵みだと思い込めるんだから、人間ってもんは、本当に愚かなものだ」
夕映えの往来を馬車は進む。あの丸部屋に似た心地良さが蘇ってきた。
作品名:充溢 第一部 第八話 作家名: