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短編・『湯西川(ゆにしがわ)』にて 6~9

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 「それがねぇ・・・
 駆け出し芸者の4年目の時に是非にと、
 あたしに「旦那」の話がきたの。
 地元の人ではないけれども、地方では名のある名士でした。
 請けるわけにもいかないけれど、
 断るわけにもいかないので、
 思い余って、
 いつもく贔屓(ひいき)にしてくれていた、
 ここの若女将に打ち明けてみたの。」


 

 流し込むように吟醸酒を飲み干した清ちゃんが、立ち上がると、
くるりと背中を見せて、窓ガラスに額を
押しつけてしまいました。




 「もともとの不器用で、
 芸事も伸び悩んでいたし、
 自分の気持ちをひた隠しにしてきた、
 そんな片想いの人も居た。
 芸者なんて、辞めようかとも本気で思った。
 同級生たちがみんな恋しているのに、
 あたしだけなぜか一人ぽっちの様な気もして、
 この先どうしょうかと、
 一番思い悩んでいた時期のことでした。

  でも、若女将の助言はシンプルでした。

  まだ若すぎるから、あれこれと悩む前に、
 とにかく、3年間だけは芸事に精進をしなさいと言われました。
 同じように片思いも、
 そのまま自分の心に閉じ込めなさいと言われたの。
 芸も生き様も、旦那のことも、
 3年先に結論を出せばいいと言いました。
 そのころになれば、
 おのずと自分が見えてくると言われて
 わたしも、ひたすらその通りにしてきました。

  でも、ひとつだけ誤算がやってきた・・・
 まさかあんたが、湯西川にやってくるとは思わなかった。
 もう、気持ちの上では、とっくに忘れていたはずなのに、
 それが、成人式で行き会って、
 また、湯西川で突然再会するなんて、
 余りにも、
 運命が皮肉すぎた。」




 話を聞いているうちに、
見えていなかったあのころの清ちゃんが、少しずつ甦り始めました。

 小学校時代に、
レイコと校庭で遊んでいた清ちゃんの
はじけるよう笑顔が、霧の中から浮かび上がってきました。
中学時代にはセーラー服を翻して、
自転車で校庭を走り抜けながら
やはり笑顔で手を振っていた清ちゃんが、
そこに現れてきました。




 「若女将に話したら、
 笑って、それなら「運命を受け入れろ」と言われました。
 どうせ後悔することになるのですから、
 自分の気が済むように受け入れて、
 後で、たっぷりと後悔をしなさいと言われました。
 でも、決して交わることができない道なんだから、
 引き返せなくなる前に
 運命だと思って、潔く身を引くのよと、
 何度もクギをさされました。

  運命と言うのは、
 あなたと私の生きる道があまりにも違いすぎるということです。
 いくら好きでも愛していても、世間には
 交じわることが許されない仲や、
 そんな生き方もある、
 それが、女の涙の源になると、
 若女将と、置き屋の
 お母さんからも教りました。」



 清ちゃんが、強い意思を見せて振り返りました。
いつもの切れ長の目には、
すこし滲むものが見えたような気がしました。



 「お願いと言うのは、
 あなたに、このまま湯西川から去ってほしいのです。
 このまま居られたら、
 あたしの心がどうしょうもなく辛くなってしまいます。
 駄目だと知っているのに、
 もう心が止まらくなってしまいました。

  それは最初から、「必ずそうなるよ」と、
 何度も何度も、若女将とお母さんからクギをさされていました。
 辛くなる前に、別れるんだよって・・・

  神様が、ほんの悪戯心でくださった、
 ひと時の運命にだけ感謝をして、
 あとは引く勇気が残っているうちに、
 綺麗に別れなさいって言われ続けました。
 それがあなたたちの、
 運命だとも言ってくれました。
 ごめんなさい、
 これ以上は、もう申せません。
 でも・・・
 清子は、湯西川いち、小粋な芸者になれるそうです。
 置き屋のお母さんも、
 10年に一度の芸子に必ずなれると
 太鼓判を押してくれました。
 若女将も、
 そう言って褒めてくれました。」



 そこまで語ってから、再び清ちゃんが
背中を見せて、窓ガラスに額を寄せてしまいました。


 いつの間にか、
ライトアップ用の街灯はすっかりと消され、
もう山間の温泉街は、闇の中でその一日を終えて
深い眠りにつきはじめていました。

 月明かりだけになってしまった『うれし野』テラスでは、
会話が途絶えたまま、時計だけが午前零時をゆっくりと
告げていきました・・・
月明かりの中の細みの清ちゃんのシルエットは
ピタリと窓に貼りついた影絵のまま、いつまでたっても動きません。

日光まで続く暗い山肌と、平家集落の茅葺屋根だけが、
鈍く光ったまま、真っ暗な闇の底でそれだけが妙に、
薄情なほどまでに、目に鮮明に見えました。




 (完)