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短編・『湯西川(ゆにしがわ)』にて 1~5

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湯西川にて(2)お春母さん



 芸者の勤めとは、
舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添えて、
場を盛り上げ、各種の芸を披露することにあります。
座の取持ちを行う女子のことを指しています、
(かつては、太鼓持ちと呼ばれた男衆が芸者と呼ばれた時代もありました。)
通常は、宴席を設ける旅館にその旨を伝え、
予算や希望に応じて、旅館側で芸者の手配をしてくれます。



一人前の年長芸妓は、島田髷に引摺り、
詰袖※の着物に、水白粉による化粧というのが一般的です
(※「留袖」のことです。 結婚後にそれまで着ていた振袖の袖を
短くしたことから生まれた名前で、
別名を詰袖(つめそで)とも呼びました。)



 三味線箱を男衆に持たせたりして、酒席へ赴むきます。
半玉(見習い)や舞妓などの年少の芸妓の衣装は、
髪形は桃割れの少女の髷で、肩上げをした振袖を着用します。
帯・帯結びも年長芸妓とは違い、そのまま風格をあらわしました。



 芸者のお春は、今年で62歳になりました。
北関東の湯西川温泉では、一番年上の芸者ですが、
それでもお春にはお座敷がかかります。



 勿論、夕食時に
お客に酌をする若い芸者に混じることは絶対にありません。
お春が必要になるのは、夕食後の宴会の席です。
その頃にはまだ、カラオケが流行っていませんでした。
宴会の席には鳴り物が必要で、お春は三味線が弾けました。
その三味線が重宝がられたのです。
なにしろお春は、14歳の時、まだ中学を卒業しないうちに
秋田から出てきて、江戸・深川の置屋で芸者の修業したのです。
以来50年近くも、芸者生活一筋の人生でした。



 お春は自分でお座敷に出ると同時に、置屋も営んでいました。
置屋を営むと言っても、お春の配下の芸者はたったの一人で、
湯西川では一番人気の、雪野と言う芸妓です。



 お春の所へは、
いままでにも何人も芸者になろうとやってきました。
しかしお春は、年はとっていても、
自分は本物の芸者という誇りがあるために
「温泉芸者」を育てるつもりなどは、毛頭もありませんでした。
したがって、きわめて厳しい教えになりました。

 いまどきの若い人には、その厳しさに耐えられません。
また本人も、本物の芸者になるつもりなどはサラサラないし、
着物を着て、かつらつけて仕事をして見たいという
軽い気持ちが強いのです。


 ということで、
誰もお春の下では長続きをしませんでした。
清ちゃんが、お春母さんを訪ねたのは、
昭和40年の早春のことでした。