舞うが如く 第3章 7~9
舞うが如く 第三章
(8)一手の指南
八木邸の屯所に、「新撰組」の看板が掲げられました。
8月18日の政変で御所の南門の警護にあたったおりの、その働きぶりが評価されて
武家伝奏から、隊士名として『新撰組』の名前を拝命したのです。
攘夷を先走る尊王攘夷倒幕派の長州藩と、
それに加担する七人の公卿の排除を狙った、薩摩と会津の
公武合体派の政治的策動が、この『禁門の政変』と呼ばれた事件でした。
8月18日の未明、9つある御所の門が、
天皇の勅命の元に、会津藩、薩摩藩、淀藩たちによって、
完全に封鎖されてしまいました。
異変に気付いた長州藩が、御所に駆けつけますが時遅くすでに
一歩も近づけない状態になっていました。
長州藩士たちは、激突も辞さない意気込みでしたが
ひとまず長州に戻って体制を立て直そうという桂小五郎達の説得によって
戦闘は回避され、翌19日、1000名余りの長州兵が
長州系の7公卿を護衛しながら、長州へと落ちてゆきました。
これが世に言う、7卿落ちの顛末です。
作品名:舞うが如く 第3章 7~9 作家名:落合順平