舞うが如く 第3章 1~3
舞うが如く 第三章
(1)生麦事件
壬生に浪士組が到着したその前年に、
攘夷の機運を一気に高めた「生麦事件」が横浜で発生しました。
薩英戦争を経たのちに、薩摩藩が英国軍の協力を得て、
近代的な軍備を手に入れて、官軍の中心となるきっかけを生んだ、
歴史的な事件のひとつです。
文久2年(1862年)、
薩摩藩主島津忠義(当時茂久)の父・島津久光は、
幕政改革を志し、700人にのぼる軍勢を引き連れて、
江戸へと出向きました。
ほぼその目的を達した後に、勅使・大原重徳とともに
京都へ戻ることになりました。
久光は、大原衛門督の一行より1日早く、
8月21日に江戸を出発しました。
率いた軍勢は400人あまりであったと
『薩藩海軍史』には記されています。
400人とはいうものの、これは正規の藩士たちだけの数であり、
荷物を運ぶなどの下働きの人数は別扱いでした。
さらに、武器や弾薬を多量に携えての、
大規模な行列そのものでした。
行列が幕府の天領である、
生麦村に差しかかったところで、
4人の騎馬のイギリス人達と遭遇しました。
横浜で、アメリカ人経営の商店に勤めている
ウッドソープ・チャールズ・クラーク。
横浜在住の生糸商人、ウィリアム・マーシャル。
マーシャルの従姉妹で、香港在住イギリス商人の妻であり、
横浜へ観光に来ていたマーガレット・ボロデール夫人。
そして、上海で長年商売をしていて、やはり見物のために
来日していた、チャールズ・レノックス・リチャードソンです。
4人はこの日、連れだって
東海道での乗馬を楽しんでいました。
(1)生麦事件
壬生に浪士組が到着したその前年に、
攘夷の機運を一気に高めた「生麦事件」が横浜で発生しました。
薩英戦争を経たのちに、薩摩藩が英国軍の協力を得て、
近代的な軍備を手に入れて、官軍の中心となるきっかけを生んだ、
歴史的な事件のひとつです。
文久2年(1862年)、
薩摩藩主島津忠義(当時茂久)の父・島津久光は、
幕政改革を志し、700人にのぼる軍勢を引き連れて、
江戸へと出向きました。
ほぼその目的を達した後に、勅使・大原重徳とともに
京都へ戻ることになりました。
久光は、大原衛門督の一行より1日早く、
8月21日に江戸を出発しました。
率いた軍勢は400人あまりであったと
『薩藩海軍史』には記されています。
400人とはいうものの、これは正規の藩士たちだけの数であり、
荷物を運ぶなどの下働きの人数は別扱いでした。
さらに、武器や弾薬を多量に携えての、
大規模な行列そのものでした。
行列が幕府の天領である、
生麦村に差しかかったところで、
4人の騎馬のイギリス人達と遭遇しました。
横浜で、アメリカ人経営の商店に勤めている
ウッドソープ・チャールズ・クラーク。
横浜在住の生糸商人、ウィリアム・マーシャル。
マーシャルの従姉妹で、香港在住イギリス商人の妻であり、
横浜へ観光に来ていたマーガレット・ボロデール夫人。
そして、上海で長年商売をしていて、やはり見物のために
来日していた、チャールズ・レノックス・リチャードソンです。
4人はこの日、連れだって
東海道での乗馬を楽しんでいました。
作品名:舞うが如く 第3章 1~3 作家名:落合順平