眼鏡
男にはもはや何の心残りもなかったのではないのか?
38年もの間勤め抜いた町役場を去年退職し、今は夫婦2人の時間を気ままに過ごしている。現役の頃は仕事をする上でいろいろな人間関係があった。自分の将来や家族のことで悩んだことだってある。でもそれらはみな、今となっては過ぎ去ったことだ。
2人の子供も順調に成人してくれた。長男は不況による極度の就職難の中、小学校教師の試験に合格した。長女は高校時代から十年もの恋愛をあたため続けた末、去年の初夏に無事結婚した。婿は自動車部品のエンジニアで海外出張が多いが、若いうちにはいろいろな経験をするのも良いことだと思っている。
つまり親として子供にしてやれる表立った役割も、とりあえずは一段落ついたというわけだ。
あとは大学時代からの仲間たちといろいろな場所に旅行することを楽しみにして生きていきたい。そうして諸々の不安を感じる暇のないような余生を送ってゆこうと思う。
男は20代の頃には予測もつかなかったほどに楽観的で従容と構えていられる今の自分にむしろ驚いている。
男は犬の散歩がてら、夕日に染められた漁港の風景を眺めることを日課としている。愛犬は散歩に連れ出してやると、決まって魚市場の近くの荒地ではしゃぎたがる。コンクリートで塗り固められた魚市場の中よりも、雑草が生い茂った荒れ地の方が断然いいらしい。
犬も人間も同じ自然から発生していながら、なぜ人間だけは都市に惹かれるのかと思わず真剣に考えたりする。
自分も若い頃は都会に憧れたものだ。大学四年の時に大阪の企業からの求人があり本気で考えたが、田舎で待つ父や母の姿を思うとそこに飛び込むことはできなかった。
しかし今はあれから時代の歯車が先に進んでしまった。田舎での雇用は非常に厳しい。若者が外に出て行くのも致し方ない。
しばらくの間、愛犬の後ろ姿を見守った後、いつものルートで家へ向かって歩き始めた。幼い頃からの自分の足跡が染みこんでいる路地を踏みしめながら歩を進める。寄り添うようにしてある家々からこぼれる明かり、どこかの家のテレビから聞こえる大相撲中継の音、煮魚のかぐわしい匂い・・・
少し冷たくなってきた風がこの路地の生活を運んでくる。
男は小さく息を吸い込んで、宵の明星を眼鏡越しにさがす。そして心の中でつぶやく。
「俺が眠るのはこの空の下だな」
しかし、男には一つだけ、決定的ともいえるような心残りがあった。
それは他ならぬ、男が今かけている眼鏡である。
何も眼鏡そのものに心残りを感じているわけではない。事実、公務員時代には眼鏡は一度交換しただけだ。しかも今かけているものは、15年前に町の商店街を回った末にようやく決定し、それから愛用し続けている、男にとってはいわばこだわりの眼鏡なのだ。
男は中学時代に祖父の強引な押しつけで、柄にもなく相撲を取らされていたことがある。たまらなく嫌だったので卒業と同時にそそくさと止めたのだが、その勲章は右の耳に残ってしまった。ぶつかり稽古の繰り返しで左の耳よりも大きくなってしまったのだ。それはまるで、ふかふかに蒸し上がった餃子みたいに見えた。
だから眼鏡をかけたとき、右と左のバランスが少々悪い。鏡を覗くと眼鏡が顔面をやや右上がりに横切ってしまう。それで、知るかぎりの店で調整してもらった結果、やっと満足のいく眼鏡にたどり着いたのだ。そんなわけで男はこの眼鏡を替えるつもりは全くない。
つまり男の心残りは眼鏡そのものではなくて、眼鏡をかけている自分の目、いや眼鏡にかけられている自分の目にあった。
それを初めて思い知らされたのが16歳の夏、友人たちと阿蘇山に登ったときのことだった。
朝、まだ日の上がらないうちに出発した時は清々しさもあったのに、徐々に日が出て分厚い霧の中を無我夢中で進んでゆくうちに、鼻の上に乗っかったこの異物がなんとも煩わしくなってきた。さらに山頂を目前にして傾斜がきつくなってくると、汗と熱気でレンズが曇ってきてどうしようもなく苛々してきた。
頂上を極めた時には霧はうそのように晴れ上がり、雲海の彼方には朝日が神秘的に輝いていた。男は友人たちと一緒に達成感に浸っていたのだが、やはりどうしても最後の最後のところで馴染めきれなかった。
「あんなに煩わしい思いをさせた異物が目の前にある。俺はこの異物を通してしかこの美しい景色を見ることができないのだろうか?」
友人が淹れてくれたお茶を飲んでも、心は決して晴れなかった。
「この景色だけではない。この先視力が回復しないかぎり、すべての対象物が、この異物を通してしか見れないのではなかろうか? つまり俺は自分の目で直接実物を見ることなど、一生できないのではなかろうか?」
阿蘇の山頂に呆然とたたずんでいるうちに汗は引いて、背筋が寒くなってきた。額の汗を拭くふりをして眼鏡を外し、自分の目で直接雲海を見渡してみた。しかし空しさがさらに大きくなるだけだった。
それからというもの、男は人生の至る所で山頂での不吉な予感を現実のものとして味わい続けた。海を見るとき、映画を見るとき、妻や子の顔を見るときなど、あらゆる場面において空しさを感じ続けた。
かといってこの悩みを他人に打ち明けるというのもなんだかおかしな気がした。打ち明けたところで何がどうなるわけでもないし、どうせ他愛のないこととしてまともに聞いてはくれないだろう。
つまり男の悩みは、日頃は心の奥底に潜んでいるが、何か特別な心惹かれるものを見た途端にふっと思い出してしまうというものだった。だから男は美しいものや珍しいものを見ることに対して、知らず知らずのうちに臆病になってしまっていた。
*
その日は、街の小学校で教師をやっている長男が久しぶりに帰ってくるということで、どことなくそわそわしていた。もちろん親としては大歓迎だが、それを率直に出すのも照れくさい。それでいつもは見ることのない新聞の株価の欄を眺めたり、庭いじりをしたりして時間をもてあました。妻はそんな夫の姿を横目でほほえましく見ながら、晩ご飯の支度に取りかかっていた。
夕方になって長男が帰ってきた。あいかわらず元気そうで、親としては安心した。しかし長引く不況で転校生や転入生が増えてクラスがまとまらなかったり、わがままを抑えることのできない子供がいたり、さらには口うるさい親たちへの対応もあったりと、教育現場も何かと難しいみたいだ。そのせいか、就職して三年経って少しは社会人らしく落ち着いているかと密かに期待していたが、子供の頃からの荒削りで勢いまかせという性格は依然として健在だった。まあ、これはこれでよい。それも若さの特権だ。
男は酒をちびりちびりとやりつつ、力まかせに語る息子の言葉一つ一つを大切に受け止めることにした。そのうち息子は言葉に飽き足らずに、何枚かの写真をリュックサックの中から取りだして父の前に広げた。男は眼鏡をかけ直して、それぞれの写真に写っている小学生の子供たちを丁寧に見つめてこう言った。
「みんなかわいらしいじゃないか。子供らしく生き生きしとる」
38年もの間勤め抜いた町役場を去年退職し、今は夫婦2人の時間を気ままに過ごしている。現役の頃は仕事をする上でいろいろな人間関係があった。自分の将来や家族のことで悩んだことだってある。でもそれらはみな、今となっては過ぎ去ったことだ。
2人の子供も順調に成人してくれた。長男は不況による極度の就職難の中、小学校教師の試験に合格した。長女は高校時代から十年もの恋愛をあたため続けた末、去年の初夏に無事結婚した。婿は自動車部品のエンジニアで海外出張が多いが、若いうちにはいろいろな経験をするのも良いことだと思っている。
つまり親として子供にしてやれる表立った役割も、とりあえずは一段落ついたというわけだ。
あとは大学時代からの仲間たちといろいろな場所に旅行することを楽しみにして生きていきたい。そうして諸々の不安を感じる暇のないような余生を送ってゆこうと思う。
男は20代の頃には予測もつかなかったほどに楽観的で従容と構えていられる今の自分にむしろ驚いている。
男は犬の散歩がてら、夕日に染められた漁港の風景を眺めることを日課としている。愛犬は散歩に連れ出してやると、決まって魚市場の近くの荒地ではしゃぎたがる。コンクリートで塗り固められた魚市場の中よりも、雑草が生い茂った荒れ地の方が断然いいらしい。
犬も人間も同じ自然から発生していながら、なぜ人間だけは都市に惹かれるのかと思わず真剣に考えたりする。
自分も若い頃は都会に憧れたものだ。大学四年の時に大阪の企業からの求人があり本気で考えたが、田舎で待つ父や母の姿を思うとそこに飛び込むことはできなかった。
しかし今はあれから時代の歯車が先に進んでしまった。田舎での雇用は非常に厳しい。若者が外に出て行くのも致し方ない。
しばらくの間、愛犬の後ろ姿を見守った後、いつものルートで家へ向かって歩き始めた。幼い頃からの自分の足跡が染みこんでいる路地を踏みしめながら歩を進める。寄り添うようにしてある家々からこぼれる明かり、どこかの家のテレビから聞こえる大相撲中継の音、煮魚のかぐわしい匂い・・・
少し冷たくなってきた風がこの路地の生活を運んでくる。
男は小さく息を吸い込んで、宵の明星を眼鏡越しにさがす。そして心の中でつぶやく。
「俺が眠るのはこの空の下だな」
しかし、男には一つだけ、決定的ともいえるような心残りがあった。
それは他ならぬ、男が今かけている眼鏡である。
何も眼鏡そのものに心残りを感じているわけではない。事実、公務員時代には眼鏡は一度交換しただけだ。しかも今かけているものは、15年前に町の商店街を回った末にようやく決定し、それから愛用し続けている、男にとってはいわばこだわりの眼鏡なのだ。
男は中学時代に祖父の強引な押しつけで、柄にもなく相撲を取らされていたことがある。たまらなく嫌だったので卒業と同時にそそくさと止めたのだが、その勲章は右の耳に残ってしまった。ぶつかり稽古の繰り返しで左の耳よりも大きくなってしまったのだ。それはまるで、ふかふかに蒸し上がった餃子みたいに見えた。
だから眼鏡をかけたとき、右と左のバランスが少々悪い。鏡を覗くと眼鏡が顔面をやや右上がりに横切ってしまう。それで、知るかぎりの店で調整してもらった結果、やっと満足のいく眼鏡にたどり着いたのだ。そんなわけで男はこの眼鏡を替えるつもりは全くない。
つまり男の心残りは眼鏡そのものではなくて、眼鏡をかけている自分の目、いや眼鏡にかけられている自分の目にあった。
それを初めて思い知らされたのが16歳の夏、友人たちと阿蘇山に登ったときのことだった。
朝、まだ日の上がらないうちに出発した時は清々しさもあったのに、徐々に日が出て分厚い霧の中を無我夢中で進んでゆくうちに、鼻の上に乗っかったこの異物がなんとも煩わしくなってきた。さらに山頂を目前にして傾斜がきつくなってくると、汗と熱気でレンズが曇ってきてどうしようもなく苛々してきた。
頂上を極めた時には霧はうそのように晴れ上がり、雲海の彼方には朝日が神秘的に輝いていた。男は友人たちと一緒に達成感に浸っていたのだが、やはりどうしても最後の最後のところで馴染めきれなかった。
「あんなに煩わしい思いをさせた異物が目の前にある。俺はこの異物を通してしかこの美しい景色を見ることができないのだろうか?」
友人が淹れてくれたお茶を飲んでも、心は決して晴れなかった。
「この景色だけではない。この先視力が回復しないかぎり、すべての対象物が、この異物を通してしか見れないのではなかろうか? つまり俺は自分の目で直接実物を見ることなど、一生できないのではなかろうか?」
阿蘇の山頂に呆然とたたずんでいるうちに汗は引いて、背筋が寒くなってきた。額の汗を拭くふりをして眼鏡を外し、自分の目で直接雲海を見渡してみた。しかし空しさがさらに大きくなるだけだった。
それからというもの、男は人生の至る所で山頂での不吉な予感を現実のものとして味わい続けた。海を見るとき、映画を見るとき、妻や子の顔を見るときなど、あらゆる場面において空しさを感じ続けた。
かといってこの悩みを他人に打ち明けるというのもなんだかおかしな気がした。打ち明けたところで何がどうなるわけでもないし、どうせ他愛のないこととしてまともに聞いてはくれないだろう。
つまり男の悩みは、日頃は心の奥底に潜んでいるが、何か特別な心惹かれるものを見た途端にふっと思い出してしまうというものだった。だから男は美しいものや珍しいものを見ることに対して、知らず知らずのうちに臆病になってしまっていた。
*
その日は、街の小学校で教師をやっている長男が久しぶりに帰ってくるということで、どことなくそわそわしていた。もちろん親としては大歓迎だが、それを率直に出すのも照れくさい。それでいつもは見ることのない新聞の株価の欄を眺めたり、庭いじりをしたりして時間をもてあました。妻はそんな夫の姿を横目でほほえましく見ながら、晩ご飯の支度に取りかかっていた。
夕方になって長男が帰ってきた。あいかわらず元気そうで、親としては安心した。しかし長引く不況で転校生や転入生が増えてクラスがまとまらなかったり、わがままを抑えることのできない子供がいたり、さらには口うるさい親たちへの対応もあったりと、教育現場も何かと難しいみたいだ。そのせいか、就職して三年経って少しは社会人らしく落ち着いているかと密かに期待していたが、子供の頃からの荒削りで勢いまかせという性格は依然として健在だった。まあ、これはこれでよい。それも若さの特権だ。
男は酒をちびりちびりとやりつつ、力まかせに語る息子の言葉一つ一つを大切に受け止めることにした。そのうち息子は言葉に飽き足らずに、何枚かの写真をリュックサックの中から取りだして父の前に広げた。男は眼鏡をかけ直して、それぞれの写真に写っている小学生の子供たちを丁寧に見つめてこう言った。
「みんなかわいらしいじゃないか。子供らしく生き生きしとる」