王の光
「ジル、入るわよ」
部屋の中に声をかけ、リアはICカードをドアの横にある機会にかざした。すぐにドアが開く。またノックを忘れたことを思い出したが、遅い。
見たくもないものまで見ないように、おそるおそる部屋の中を覗く。ジルはベッドで横になっているようだった。リアが来たことに気が付いていないらしい。
どうせなら驚かしてやろうかと、忍び足でベッドに近づく。そして声をかけようとして、やめた。
ジルは目を閉じていて、眠っているようだった。しかしリアが悪戯の中止を決意した理由はそれだけではない。その寝顔が気になったからだ。
穏やかに眠っているようでありながら、ジルはどこか苦しげな表情を浮かべていた。悪夢にうなされているそれとはまた違う、表情の奥から滲み出ている彼の苦しみをリアは感じ取ったのだ。
このような場所で自由を奪われ、苦しくないはずがない。それは彼女も分かっているつもりであった。しかし改めてジルの様子を見ると、彼女の認識は甘かったと言わざるを得ない。
「ありがとうね」
ロストクで彼が自分を守ろうとしてくれたことに対し、彼女はまだ礼を言っていなかった。彼に届かないこの言葉がカウントされるのかは分からないが、今さら直接言うのも照れくさい。
起きるまで待っていようか。ロストクが襲撃されてから、忙しくてジルとの会話も減った。彼は軍に入ってから初めてできた同年代の話し相手なのだ。どうせ、このまま自室に戻ってもすることはない。
部屋にある椅子に座り、目を瞑る。眠ってしまうのならそれでいいと思った。
しかし彼女の意識が沈んでいく直前に、声が彼女を現実に引き戻した。
「ソフィー?」
「あら、起きたの。おはよう」
椅子から立ち上がると、軽く伸びをする。眠ってはいなかったが、ほぼそれに近い状態にまで達していた身体は少しダルさが残っていた。
「どうしてここに?」
「いや、まあね」改めて尋ねられると照れくさい。「じゃあ、そろそろ戻るわね」
「え、もう戻るの?」
ジルの疑問はもっともだが、今さら何か話をする気にもなれない。リアは頷くと、部屋から出ようとし、そして彼女と遭遇した。
「あら、ローラン中尉。こんなところでどうしたんですか」
「セラ少尉……」
「あら嫌だわ。今日付けで中尉に昇進したのよ」そう言って、マリベル=セラは静かに続ける。「レアル大尉が戦死したから、ね」
「……そうですか」
リアは息を呑んだ。マリベルの顔を直視できない。彼女がアントニオを好きだったことは、当然リアも知っている。
リアは急いでジルの部屋から出ると、ドアを閉めた。今からの会話は彼に聞かれたくない。
「で、何をしていたのかしら。あなたたちのせいでアントニオは死んだというのに、よく平気な顔をしていられるわね」
「そんなことっ」
ないとは言えなかった。少なくとも、リアがナポレオンを助け出そうとしなければ、ジルとさっさと逃げていれば、アントニオは戦死しなかったかもしれない。エースパイロットの足を引っ張ったのは自分だ。
だが、おそらくアントニオはそんなリアを責めたりしないだろう。それが分かっているだけに、余計に歯痒く、悔しかった。
「そうそう、お父様がお呼びでしたよ。中尉」
最後にそれだけ言い残し、マリベルはそのまま去った。テオドールのことをお父様と表現したのは彼女なりの嫌味だろう。リアは唇を噛むと、司令室に向かった。
ドアの前で深呼吸し、ノックする。いつ来ても慣れない。むしろ、軍に所属する時間が長くなるほど、ここへ入るときにリアを襲う緊張感は増しているようにすら思えた。
「失礼します」
「早かったな」
驚いた様子のテオドールが彼女を出迎えた。彼としては、あまり早く来てもらわなくてもよかったのだろう。艦内放送を使わずに呼び出しということは、緊急の用事ではないということだ。それはつまり、テオドールとしても伝えたくないが伝えなければならないことを意味する。今のタイミングで想定できる内容は一つしかなかった。
「少将が私に何か伝えたいことがあると聞きました。どういったご用件でしょうか」
「キングが完成した」
想定していたテオドールの言葉に、リアは頷いた。ジルの解放条件であった新型ザクール「キング」の完成は、これで彼の解放が決まったことになる。
「では、早速ジルに報告を……」
「ならん」リアの言葉を遮って、彼は低く告げる。「奴はまだ解放しない」
今度は全く想定していなかった彼の言葉に、リアは自分の感情が高まるのを感じた。先ほどマリベルによって蓄積された鬱憤が爆発する。
「なっ、それは約束が違います。キングが完成すれば彼を解放すると少将はおっしゃいました」
「言っていないぞ。私は、キングが実戦に出るようになればあの民間人を解放してやると言ったのだ」
「完成したのに実戦に投入しないとは、どういうことですか」
言ってから、リアは気がついた。そして俯く。テオドールの返答は聞きたくなかったが、そういうわけにもいかなかった。
「パイロットがいないのだよ」
キングは元々アントニオ=レアル大尉専用の新機体として開発されたものだ。彼の乗機だった「ヒネーテ」と近い操縦方法であるそれを操縦するのは、「ポーン」や「ビショップ」といった量産タイプのザクールの操縦に慣れた一般兵には難しいだろう。それは専用機を与えられているリアでも同じだ。
「それでは、ジルは……」
「キングが出られるのなら解放してやる。それともお前が乗るか?」
リアは頷くことができなかった。これは戦争だ。ジルを助けようと不慣れな機体に乗って、結果戦争に負けて彼を死なせることに繋がるかもしれないのだ。アントニオの死後、死がさらに近いものとなってしまった。
ザクールの操縦に長けていて、かつ量産型の操縦に慣れていない者……そんな人物がいるわけない。
「あっ……」
一人いた。しかしリアはその閃きを打ち消すように首を振る。思い浮かんだ人物――ジルをキングに乗せるなど、本末転倒だ。
「どうかしたか」
「いえ」
力なくリアが答えたとき、司令室の電話が鳴った。テオドールが受話器を取る。
「どうした。……何? それは本当か? 分かった。すぐに部隊を向かわせる」
早口でまくしたてると、テオドールは受話器を戻す。
「今の連絡は」
リアとしても、おおよその見当はついていた。
「出撃だ」
「了解しました」軽く敬礼し、続ける。「東部戦線ですか」
テオドールはしばらく答えなかった。組んだ両手の上に顎を置いている。聞こえなかったのかと再びリアが口を開こうとしたとき、彼の口が動いた。
「ロストクだ」