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The El Andile Vision 第3章

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Episode.1 暴走する力



「私が興味を抱くのは、そのおまえの内に眠る古代フェールの『力』なのだ」
 ユアンの言葉は一見穏やかであったが、その底にはどことなく威嚇するかのような響きが感じ取れた。厳しい、冷徹な表情がその面に表れていた。
「――ジェリーヌ」
 ユアンに呼ばれ、その傍らに進み出た女が黒いヴェールを静かに取った。
 その下から、現れ出たのは美しくも冷たく酷薄な面。その顔の半分は黒髪に隠れて見えない。
 彼女は瞳を上げ、イサスを見た。その瞳の色が妖しい黄玉(トパーズ)の光に輝く。
 人のものとも思えない不可思議なる色。その魔性を帯びた瞳が、イサスをとらえた。
「ユアン様。お下がりを」
 ジェリーヌ・ヴァンダはそう言うと、ユアンに代わって少年のすぐ前に身を置いた。とらえた視線は離さぬまま。
 ――この女は、危ない。
 再び、イサスの本能が強い警告を発する。しかし、今の彼にはもはやその危険から逃れようとするだけの意志も力も残っていなかった。
 ただ、全身を覆う圧倒的な嫌悪感が、彼を苛んだ。それは殆ど生理的な拒絶感とでもいった方がよかっただろうか。
「……やめろ。俺に触るな――」
 イサスは乾いた喉から絞り出すように、ようやくそれだけ言葉を発した。
 しかし、それをも無視するかのように、女の手はためらいなく彼の胸元へと伸ばされた。
 同時に女の口元が微かな動きを示し、何か解せぬような言葉が瞬時に吐き出されたようだった。その手の先が、次第に淡い光を帯び始める。
「……やめろ――!……」
 ジェリーヌの指先が彼の胸に接触した瞬間、イサスの口から悲鳴に似たような苦痛の叫びが洩れ出た。
 彼は本能的に身を捻ってその手から離れようとした。
 そのとき、周りの空間が歪み、逃れようとするイサスの体を四方からがっちりと羽交い絞めにした。
(これが結界にいることの意味なのだ――おまえはどこへも逃げられない)
 女の声が無情にイサスの脳裏に響いた。
 そして、ジェリーヌの伸ばした指先がイサスの胸の石に触れた。
 その刹那――冷たい衝撃が彼の全身を駆け抜けた。
(それに触れさせては、いけない――)
 本能が必死で抵抗の叫びを上げるのに反して、彼の体は金縛りにあったかのように微動だにしなかった。
 彼の体が弱っているせいなのか、それともジェリーヌ・ヴァンダの結界の力に抑えられているせいか。
 ジェリーヌの手が石を掴み、それを紐から引きちぎった。
 その瞬間、鋭い痛みとともに、イサスは自分の体の中で、何かが弾ける音が聞こえたような気がした。
 それまで保たれていた均衡が崩れ、何かが砕け散ったような感覚――
 途端に彼の体の深い奥底から何か強力な力が一気に溢れ出てきた。
 それは、あまりにも激しすぎる力の奔流だった。
 力に押され、呼吸もままならない状態で、気の遠くなるような痛みに切り刻まれながら、彼はただ声にもならぬ悲鳴を上げていた。
 イサスの全身から発せられた強烈な閃光が、部屋全体を真っ白に包み込み、人々は皆、目に見えぬ力の衝撃に圧されるとともに、その目眩めく光の洪水に耐え切れず、目を両手で覆いながら、その場にうずくまった。
 ジェリーヌは、何とか踏み止まり更に触手を伸ばそうとしたが、力の波の激しさに抗しきれず、後退せざるを得なくなった。
 顔半分を覆っていた彼女の髪が後ろへ吹き飛ばされ、その下から焼け爛れた醜い半面を露にした。
 しかし彼女は気にする風もなく、ただ驚愕と畏怖に満ちた瞳を大きく見開いていた。彼女は身内に震えが走るのを止めることができなかった。
(このままでは私の結界が、もたぬ――!)
 イサスの中から解き放たれた力は、間違いなく彼女の結界の力をも突き破ろうとしている。
 そして結界が破られたときには、この無軌道に暴走しようとする力の洪水がはたして外界にどのような災厄をもたらすか、さすがの彼女にも想像がつかなかった。
 ジェリーヌは少年からもぎ取った、手の内の緑石を見た。
 石を包んでいた護符の袋が破け散り、剥き出しの石の表面に先程まで見えていた緑の光源は既にその光を失っている。
(どうやら、戦術を誤ったか。……フェザーンの力は想像以上のものだった。再びこの石で封じ込めねばならぬようだが、この私の力でできるかどうか――)
 そう思うとさすがの彼女の心も重くなった。
 一方、ユアン・コークの表情は対照的だった。
「これが、『エランディル』の力なのか。何という……まさにこの世のものとも思われぬ――」
 彼は、熱に浮かされたかのように低く呟いていた。彼には恐怖の感情はなかった。
 眩しさを避けるように、腕をかざしながらも、その下から覗く面にはただ、魅入られたような、歓喜にも近い表情がありありと現れている。
 彼の眼は一時もイサスから離れようとはしない。
(そうだ……もっと、存分に見せるがよい。フェールの古の力を……
 ――素晴らしい……まさしく、私が夢に描いた力そのものだ。私が欲しいと思った強さと輝きに満ちあふれている。
 これほどの力をその身に宿している者がいようとは……何と羨むべき……そしてまた、何とも嫉ましいことか……!)
 しかしイサスは、自分の体の内奥から発するその激しい力の波に翻弄され、かつて感じたことのないような強い恐れに身を震わせていた。
 自分の意志とは異なるところで、未知なる力が勝手に暴走を始めている。そして、彼にはどうしてもそれを止めることができないのだった。
(――誰か……!)
(――誰か……これを止めてくれ……!)
 イサスは激痛に悶えながら、悲痛な叫びを繰り返すばかりだった。
 そのとき突然扉の前の空間が大きく歪んだかと思うと、銀髪の若者の姿が鮮やかに現れ出た。
 その全身には微かに白い燐気が漂っている。銀の髪がひときわ神秘的な輝きを映していた。
「ジェリーヌ・ヴァンダ……はやったな。愚かな真似をしたものだ。『契約』の力を侮ったか」
「……エルダー・ヴァーン――!」
 ジェリーヌが眉を上げた。その怒りに満ちた眼が青年を睨みつける。
 しかしエルダーは構わず、口中で何か呟くなりその眼をイサスへ振り向けた。
 彼の瞳の碧が一瞬強い光を閃かせたかのように見えた。
 イサスの混濁した目が、目眩めく光の渦の中でその碧を捉えた。
(静まりたまえ、我が偉大なる父祖の生み出したる力……エルム・ヌ・ランズ・ディオウル。今はまだ、時至らぬ。そなたの出でうる時ではない。――『焔の守護者』(レグス・ヌ・フューレ)の名にかけて、そなたの主(あるじ)たる肉体に決して危害は与えぬことを誓う……!)
 エルダー・ヴァーンの声の凛としたその強い響きが、イサスの頭の奥を駆け抜けていく。
 それと同時に、気のせいか僅かに体の中から噴出し続ける力の波がやや弱まったかのようであった。
 イサスは、不思議な思いに駆られ、ほぼ無意識に反芻した。
 ――『焔の守護者』(レグス・ヌ・フューレ)……
(なぜだろう。……俺は、その名を知っている……?)
 だが、思考は長くは続かなかった。彼の意識はもはや半分以上霞んでいたのだ。
「石を貸せ。ジェリーヌ・ヴァンダ!……もう一度それで『エランディル』を封印する」