舞うが如く 第2章 10~12
舞うが如く 第二章
(10)本庄宿の大かがり火
精鋭揃いの浪士組のなかでも、
近藤勇の試衛館一派と、芹沢鴨の元水戸藩攘夷派は、
ひときわ異彩を放つ存在でした。
もともと武芸に秀でてさえいれば
出所や身元はもとより、政治犯や犯罪の前歴さえも問わないという、
実力本位の傭兵的武芸集団が、この「浪士組」です。
その背景には、
この時期に朝廷が幕府に対して、
攘夷の実行を促していたことがあげられます。
そのために幕府は、苦肉の策として
攘夷を唱える浪士たちを集めて、その実行集団を仕立て上げようとしました。
しかし幕府の思惑に反して、1500人以上もの応募が殺到したために、
予定していた50人の定員を、はるかに超える事態になってしまいます。
「尽忠報国」の旗印なども、いつの間にか曖昧となり、
無頼者なども含んで、戦闘集団の様相まで帯びてきてしまいます。
その処置に困り果て、とりあえず近く上洛する予定の将軍を警護するという
目的を与えて、上洛を急がせることになりました。
また上洛のために、
回り道とも思われる中山道が使われたことにも、
一般人との無用な争いを、事前に避ける意味合いもありました。
文久3年2月8日、
再び小石川伝通院に集まった浪士たちは、
その総勢が、235名におよびました。
30人ほどの小隊に編成された7組が、
まだ雪の残る中山道を伝って、京都をめざして出発しました。
(10)本庄宿の大かがり火
精鋭揃いの浪士組のなかでも、
近藤勇の試衛館一派と、芹沢鴨の元水戸藩攘夷派は、
ひときわ異彩を放つ存在でした。
もともと武芸に秀でてさえいれば
出所や身元はもとより、政治犯や犯罪の前歴さえも問わないという、
実力本位の傭兵的武芸集団が、この「浪士組」です。
その背景には、
この時期に朝廷が幕府に対して、
攘夷の実行を促していたことがあげられます。
そのために幕府は、苦肉の策として
攘夷を唱える浪士たちを集めて、その実行集団を仕立て上げようとしました。
しかし幕府の思惑に反して、1500人以上もの応募が殺到したために、
予定していた50人の定員を、はるかに超える事態になってしまいます。
「尽忠報国」の旗印なども、いつの間にか曖昧となり、
無頼者なども含んで、戦闘集団の様相まで帯びてきてしまいます。
その処置に困り果て、とりあえず近く上洛する予定の将軍を警護するという
目的を与えて、上洛を急がせることになりました。
また上洛のために、
回り道とも思われる中山道が使われたことにも、
一般人との無用な争いを、事前に避ける意味合いもありました。
文久3年2月8日、
再び小石川伝通院に集まった浪士たちは、
その総勢が、235名におよびました。
30人ほどの小隊に編成された7組が、
まだ雪の残る中山道を伝って、京都をめざして出発しました。
作品名:舞うが如く 第2章 10~12 作家名:落合順平