舞うが如く 第2章 7~9
近藤たちと共に、
水戸藩・天狗党の流れをくむ
過激な尊王攘夷の一派も参加をしました。
それが後に新撰組の総局長となる、
芹沢鴨とその盟友たちでした。
芹沢鴨は、常陸の国・芹沢村に生まれ、
武術は神道無念流を学び、免許皆伝を受けて師範代も務めた人物です
尊王攘夷派の急先鋒で、
水戸天狗党の前身である玉造組にもいち早く参加した人物です。
玉造村を拠点として、横浜で攘夷を実行するために、
石岡や潮来などで豪農や豪商を回り資金集めに奔走します。
文久元年2月に、
水戸藩内だけでなく天領でも茂資金集めしたことや
天狗党を詐称して攘夷を口実とした恐喝が横行したことから、
幕府から攘夷論者への抑圧が、水戸藩に指示されました。
水戸藩では天狗党に近い首脳たちが更迭され、
かわって反対派が台頭すると
玉造組は即座に弾圧の対象となりました。
4月になると、芹沢鴨が、
佐倉方面での献金強要の罪で逮捕され、投獄されてしまいます。
処刑を待つ身でしたが、文久2年にはじまった住谷寅之介らによる
朝廷工作が功を奏して再度、天狗党が水戸藩の政権を奪取します。
この時に、安政の大獄にかかわった政治犯の釈放を目的に
大恩赦が出され、芹沢も出獄することが許されました。
この時から名を「継司」から、
一文字の「鴨」と名乗のるようになったようです。
作品名:舞うが如く 第2章 7~9 作家名:落合順平