ヴァーミリオン-朱-
相手の話半ばで、背を向けているフュンフに呪架が妖糸を放った。
輝線は確実にフュンフを捕らえたはずだった。
妖糸はフュンフの残像を斬った。
音もなく、風も立てず、フュンフが姿を消した。
気配がしたのは呪架の真後ろ。
「敵を背中から攻撃するなんて卑怯ですよ」
すぐに声に反応して呪架が後ろを振り向くと、確かにそこにはフュンフの姿があった。
「いつの間に俺の後ろに……まるでセーフィエルみたいだ」
相手が呟く名をフュンフは聞き逃さなかった。
眉を寄せてフュンフは呪架に尋ねる。
「夜魔の魔女セーフィエルをご存知ですか?」
「知ってたらどうする?」
「帝都政府はセーフィエルの行方を追っておりまして、それがなんていうか、簡単にいうと見つからないという感じで困っておりますです」
「教えてやる義理はない」
それに呪架は消えたセーフィエルの居所を知らなかった。
「そんなことおっしゃらずに。ではこんな話と交換ということで、わたくしはセーフィエルが開発した亜音速移動装置の使い手でして、ワルキューレの中でもこれを使いこなせるのはわたくしだけなんですよ。ちょっと自慢です」
それが呪架の前から姿を消し、真後ろの現れたトリックだ。
呪架は無言でフュンフを見つめていた。どうも調子が乱され、戦いづらい相手だ。可笑しな日本語は耳について離れない。
「もうおしゃべりはたくさんだ。殺して口を開けなくしてやる」
宣言どおり呪架はフュンフを殺しに掛かった。
エリスの嘴状の鉤爪が大きく口を開き、中から魔弾を撃ち放った。
迫る魔弾をホーリースピアで跳ね返したフュンフに呪架の妖糸が迫っていた。
輝線はまたもや残像を斬った。
フュンフの蹴りが呪架の背中を襲い、地面に両手を付いてしまった呪架の首根っこに、鋭い槍の先端が突きつけられた。
「クソッ!」
背中を足の裏で押さえられ、首と刃先は数センチの距離しかなく、呪架は蛙のように地面に這いつくばって動くことができなかった。
だが、呪架にはまだエリスがいる。
「行けエリス!」
エリスの放った魔弾が真横から迫り、フュンフは呪架の背中を踏み台にジャンプをして躱した。
「危なかったです。えっと、あの、わたくし先ほど亜音速装置の使い手みたいな大そうなことを言いましたけど、実はセーフィエルほど上手に使うことができず、咄嗟に亜音速に入ることができない上に、物凄くゼーハーゼーハー息を切らせてしまうのです」
「自分の弱点を言うなんて馬鹿か」
瞬時に立ち上がった呪架は毒を吐いた。
二人の敵を前にフュンフはニッコリ笑った。
「絶対に勝てるから良いのですよ」
その口調の変化に呪架は気づいただろうか?
戦いはこれからだった。
《2》
女帝とズィーベンは円卓のある会議室で、モニターに映った死闘を見守っていた。
戦っているのはフュンフと呪架とエリス。羽虫型の超小型カメラからの映像だ。
フュンフには呪架を生け捕りにするように命じ、戦いの最中もできるだけ多くの情報を聞き出すよう指示していた。
セーフィエルの名前が出た以上、ただで殺すわけにはいかなかった。それに加え、戦いの最中に呪架が呼んだ『エリス』の名。セーフィエルの名前が挙がっていることから、エリスが?あのエリス?である可能性は高い。
映像に映る呪架の戦いぶりにズィーベンは目を見張っていた。
「やはりこの子供は傀儡士でございましょうか?」
「たぶんね」
「では何者なのでございましょうか?」
「何者なんだろねー。そこら辺をフュンフに質問させてみてよ」
この会議室の音声はすでにイヤホンを通してフュンフの耳に入っている。
画面の向こう側の世界で、フュンフはエリスの鉤爪をホーリースピアで受け止めながら、余裕の質問を呪架に投げかけた。
《傀儡士とお見受けいたしましたが、貴方様は何者ですか?》
《俺のお母さんを、おまえらが奪った。こう言えばわかるか?》
スピーカーを通して二人のやり取り聞いたズィーベンは深く息を吐いた。
「やはりあのときの子……エリスの子供とわたくしは確信いたしました」
「まっさかー、だって君の報告じゃエリスの子供は別の空間に引きずりこまれたって」
そう女帝が報告を受けたのは一〇年ほど前のことだった。
複雑な顔をするズィーベンはフュンフに命じる。
「エリスが自らの意志で魂を捧げたこと、ノインのことも含めてその子に話してあげなさい」
そして、ズィーベンと女帝の意識はモニターの映像に注がれた。
苦しそうに息を切らす呪架の様子を見ながら、フュンフはホーリースピアを地面に下ろし、戦う意志がないことを相手に伝えて動きを止めた。
「エリスのことをお話するので、貴方様も戦う手をお止くださいです」
母の名を出されては、呪架は動きを止めないわけにいかなかった。それが罠だとしてもだ。
「どんな話だ?」
「貴方様はエリスの子供ではありませんですか?」
「そうだ、お母さんはお前らに殺されたんだ」
「ズィーベンが察した通りでしたか……。エリスは本人の同意の元に我々にアニマを差し出したのです」
「そんなの嘘だッ!」
唾を飛ばしながら呪架は怒号した。
フュンフはズィーベンに命じられたとおりに語りはじめる。
「貴方様の祖母であるシオンは我々の間ではノインと呼ばれておりましたです。ノインはワルキューレでしたが、蘭魔と駆け落ちの末に逃亡し、それにより世界を危機に晒したのです」
そんな話すら呪架は知らなかった。まさか祖母がワルキューレの一員だったなんて、信じられない。
「世界を危機に晒すなんて、そんなことあるわけないじゃないか!」
「ノインはセーフィエルの末裔であり、あの一族の祖は〈闇の子〉の末裔でもありますです。〈闇の子〉とはわたくしたちが戦わねばならない相手なのです。そして、〈闇の子〉の血を引きながら我々に協力したノインは、〈闇の子〉と戦う大きな武器だったのです。そして、シオンは蘭魔と駆け落ちしたがために殺されたのです」
「誰に?」
「D∴C∴というテロリスト集団に蘭魔が狙われており、シオンもその巻き添えになったのです。この世で死んだノインのアニマは女帝の命令で、〈闇の子〉の封印強化の任務を責めとして受けさせられました……」
それゆえに、ワルキューレのナンバー?9?は永久欠番とされた。
苦悩に眉を顰めながらフュンフは話を続ける。
「のちに蘭魔はD∴C∴を壊滅にまで追い込み、最終的にはD∴C∴を乗っ取ったのです。その後の詳しい経由はわかりませんが、蘭魔は以前のD∴C∴がそうであったように、帝都政府に牙を剥きはじめましたのです。しかし、新生D∴C∴も何者かに壊滅させられ、蘭魔はおそらく死亡したと思われますです。そして、蘭魔には子供がいたのです」
呪架の父――愁斗。その顔を呪架は知らない。呪架が生まれてすぐに愁斗は姿を消し、呪架は母の手ひとつで育てられた。だから、呪架にとって母はすべてだった。
そして、フュンフはエリスの話をはじめる。
「エリスはノインの年の離れた妹です。その妹がこともあろうに蘭魔の子供、つまり蘭魔とノインの子供との間に子供を授かったのですよ。これを波乱といわずなんというのです?」
作品名:ヴァーミリオン-朱- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)