舞うが如く 第1章 8~12
(12)伊乃吉の企み
その翌日のことです。
房吉が妻と連れ立ち、深山村への峠を越します。
そこへ、待ちかねていた伊乃吉が目の前に現れました
女房連れということもあり、茶店に休憩したらどうかと、
目を細くして、しきりに勧めます。
脚の弱い女房を連れていることでもあり、
房吉がちょっと休もうと、まず縁側に腰を下ろしました。
今日はお祭りでもあるので、まずは一献と、
伊乃吉が、酒の入った茶碗を房吉に差し出しました
それを受けとる前に房吉が、腰の一刀を脇に置くと、
間髪を入れず、伊乃吉の取り巻きの者が手を伸ばします。
「此処に置いては、大事な物が埃になりまする、まづはこちらに。」
と、床の間に立てかけてしまいました。
さらに間髪をいれず、床の間の前には数人の取り巻きたちが
一斉に屯(たむろ)してしまいました。
いや、それでは困ると立ち上がる房吉に、
伊乃吉が両の手で押しとめました。
「貴殿の帰りまでには必ず差しあがるから」
と言いつつ、これも上がり口に回り込むと、
遮るように腰をおろしてしまいます
しからばと、房吉も覚悟を決めて座り直します。
そこへ大人数を引き連れた、山崎孫七郎が現れました。
挨拶もそこそこに、奉納の額の際に、
伊乃吉に沙汰がなかったことに難癖をつけてきます。
当方にも配慮に欠けたものが有りましたと詫びても、山崎も
伊乃吉もいささかも、聞く耳をもちません。
このうえは、真剣にて立ち会わなければ、
あの刀も返さないと、詰め寄ってくる始末になってしまいました。
たとえ素手であってもこのままでおくものかと、
勢いよく房吉が立ち上ります。
その傍から妻の「とよ」が、房吉の袖を引きました。
「後日でも片の付くはなしゆえ、
ここはひたすら忍んで我慢してください」
と懇願して、引きとめます。
房吉もまた師匠の法神より、
免許皆伝を受けたおりに、「事なるまでは、百難を排すべし」と
きつく厳命をされてたのです。
刀を預けたまま、夫婦はともどもに
涙をのんでそのまま帰宅をいたします。
その夜のことです
房吉は、主だった門弟たちを集めて
静かに酒宴におよびました。
多くは語りませんが,ただならぬ雰囲気だけが漂い続けます。
やがて夜半になろうとする時刻に、使いの者が現れて、
園原村・庄屋の倅からの手紙が届きました。
騒動の仲裁を頼まれたので、
単身にて庄屋までおいで願いたいとあります。
作品名:舞うが如く 第1章 8~12 作家名:落合順平