認定猶予 -Moratoriums-
「そういえば、白城さんは結婚されていなかったんですか?」
「結婚してたらもう少しマシな人生だったろ」
ほんの少し眉を寄せて、それから仕返しとばかりに悠花を見上げる。
「お前は? カレシとかいなかったのか」
「そういうのはいいんです。必要ないから。それに、もう無意味でしょう」
こちらは特に気分を害した風でもなく。ちょっと悪戯に微笑めば、瞳がくすぐったげに揺れた。それを受けて、白城が右の唇の端を釣り上げる。
「じゃ、お互い様だ」
肩など凝る筈もないのに、大きく伸びをしてから立ち上がった。それにしたがって悠花もまた一歩後退する。
月に照らされて、実体のないはずの輪郭が強く陰を引いた。銀色の光を纏う二人はまるで陽光の下に照らし出されているように見えて。その白城の横顔を盗み見ながら、悠花は、自分には必要な過去のことを思い出していた。
あれはまだ幼い頃の話。その救い主の名前を知ったのは、それから何年か経過してからだったけれど。
「私はあなたのおかげで、生き長らえることが出来たんです」
既に背を向けていた白城が、ふいに怪訝そうに足を止める。
「何か言ったか?」
「いえ。なんでもありません」
悠花は柔らかに笑んで、首を振るばかり。だからそれ以上のことを、彼もまた問い返すことはしない。その代わり、これからの帰路の旅路を、迷いはぐれてしまわぬようにと手を差し伸べて。
「さて、俺達も帰ろうか。あんまり居ると追い出されちまう」
「はい」
悠花は頷いて、大人しくその手に導かれることにした。
ひどく冷たいてのひらだと思った。
人のぬくもりなんてもう何年も前から知らないけれど、それでも記憶の中にある人間の体温はもっともっと高くて、じりじりと焼けるように高くて。
己の存在自体を焼き切ってしまうんじゃないかというくらいに。
水晶の鋭さにも似た、一回り大きな掌。少し伸びた爪の先。鼻をつく煙草の匂い。
呼吸も、心音も、存在しない。
『私達』は、ただ『次』を待つだけの存在でしかなくて。
けれど。
そのてのひらは冷たいのに、ひどく愛しいと思った。
End.
作品名:認定猶予 -Moratoriums- 作家名:篠宮あさと