Twinkle, Tremble, Tinseltown 3
swim near the bottom
タイトルロールもクレジットもないことから分かるように、それは素人がデジタルカメラで撮影したフッテージだった。女が画面の真ん中に陣取っている。現代的な顔立ちに、おろしたてとは言え真っ白なスリップなど似合わない。こんがりと黄金色に焼けた手足が、違和感を余計に煽っていた。舞台は地下室らしいが、場所は特定できない。家具らしき家具はなく、コンクリートの無機質な薄暗さが彼女の輪郭までも侵食している。暗闇の中目ばかりを異様に光らせ、女はそこに存在していた。唇の動きがあるものの、声は一切聞こえない。カメラの向こうの人物と喋っているのか、視線が正面に定まることは無かった。
シーンが切り替わる10秒前に、ふと思い立ったように口を噤む。レンズの向こうをじっと見つめる瞳は、まるで知性を感じさせない動きでぱちくりと瞬く。ここで初めて彼女の眼が、青か、それらしい色であることが分かるのだ。再びカメラと対峙した女は、取って付けたかのように手を振る。笑みも白々しい。だが、それなりに美しい。ぷつんと映像は途切れ、数秒の闇。
場面は変わり、病院の処置室らしき場所が映し出される。断言が出来ないのは、部屋にある全てのものが新聞紙で覆われているからだった。壁、窓、医療機器らしい大きな塊。床はおろか、診察台すらもよくみれば黄ばんだ紙を敷き詰めてある。個性という個性を徹底的に排除した室内で唯一剥き身の存在であるのは、その上に横たわった女の身体だけだった。日焼けの甲斐なく右腕は青白く、床に向かってだらりと垂れ下がっていた。勿論、変化しているのは腕の肉だけではなかった。真上から当てられたライトの光が強すぎるせいもあるだろう。だが切り裂かれたスリップから垣間見える肉体は、病んでいるかその先に進んでしまった肉体特有の浮腫みに冒されていた。
画面の外から現れたのは、フランケンシュタイン博士かナチスのマッドサイエンティストといったところ。体格で男だということは分かる。古臭い手術衣と大きなマスク、白いキャップまで被っているお陰で顔は分からない。ゴム手袋をぱちんと弾く茶目っ気とは裏腹に、アルミのトレーに並べてあるメスを掴んだ手は一切躊躇が無かった。仕事が始まる前に、カメラは女の身体を上から下にパンしていく。これまた時代掛かった麻酔吸入のマスクのせいで、女の顔は殆ど覆われていた。ぼかしも一切入らず、濡れたような髪から爪先までを辿る。弛緩した肉体。相変わらず音は無い。
まず医師は、一見何の症状も窺えない女の左手に着目した。ズームされた薬指の根元にメスを当て、ソーセージでも切るかのようにごしごしと動かす。血はにじみ出るように流れるだけだったがその量は多く、乾いた紙を赤く染めていく。骨に達した時は力を込め、後はそのまま押し切るように刃を滑らせれば、悪趣味な黄色のマニキュアを施した指がころりと新聞紙の上に転がった。切り口は見えないが、はみ出した筋組織と脂肪が血にまみれ、光の下でぬめっているのがはっきりと分かる。数度の激しい手振れはするものの、レンズは五本の指全てが切り落とされるまで辛抱強くその場に留まっていた。
レンズが引くにつれ、医師がメスを捨てていたことが判明する。彼が代わりに取り出したのは小型のチェーンソーだった。機体を股に挟み、ハンドルを何度も引っ張る。エンジンの回転は、局地的な照明から外れた部分に立っているにも関わらずしっかりと捉えられ、巡る刃の輝きがダイヤモンドのようにちかちかと光った。
準備が整うと、男は再び患者に向き直った。一度機械の重みでよろけたのはご愛嬌だ。獲物を狙うジェイソンよろしくチェーンソーを高々と抱え上げる。ライトと同じ位置にまで持ち上げられた回転刃の速度は、取り返しのつかない速度までヒートアップしていた。 撮影者が走り、医師の正面に回る。マスクとキャップの隙間から見える瞳は、表情など一切窺えない。数秒仁王立ちの姿勢で動きを止めた後、唐突に腕が振り下ろされ、唸る刃が女の胴に迫った。
「オーケー、もういい」
男が手を振ったのにあわせ、レスはマウスをクリックした。チェーンソーはちょうど肉に食い込むか食い込まないかの決定的瞬間。ぶれすぎて何が何やらさっぱり分からない。
「どうかな」
「どうもこうも、最低だな」
「頼むよ、ラビー」
ラビーと呼ばれた男は答えず、撫で付けていた黒髪を指で梳いている。近寄りがたい程強面の彼の造形中、眼が覚めるような空色の瞳だけは、レスが彼と出会った時と同じく曇るということを知らなかった。混じりけの無さで考えれば間違いなく無垢と言える眼差しは、外界の全てを弾き返す。自らが放つ狂気によって。
最低限の礼儀こそ弁えているが、一回り以上年嵩の危険な目をした男へ使うには幾分親密すぎる口調と共に、レスは身を乗り出した。
「もうちょっと見てくれたら分かると思うけど、ここから先が盛り上がるんだ」
「女が死んでるって分かった時点で盛り下がっちまったよ」
ウェイトレスがコーヒーを継ぎ足しに来る。暇なのだろう。客は数人、絶対に隣り合わないよう席を取り、思い思いに午後の時間をやり過ごそうとしている。生産的行動に携わっているのは自分たちだけだと、胸を張ってレスは答えることが出来た。広げたラップトップを覗き込むだけの簡単な作戦会議。ポットを抱えた年増女をラビーは手だけで追い返そうとするが、一旦止めてレスの顔をじろりと見遣る。好意に甘えてカップを差し出せば、乱暴だがきっちり9分目までまずいコーヒーを注いでくれた。
「分かった?」
大きな身体を丸めるようにして画面を覗き込むしおらしさも、長年の付き合いでは全く通用しない。ラビーは頷いて、半分近く中身の残っている自らのマグを指で弾いた。
「どこから持ってきたか知らんが、そんな古い奴じゃないな」
「多分6時間は経ってない」
混沌とした静止像の中で、辛うじて分かる首の辺りを指でなぞる。
「男に捨てられて薬を飲んだって。家賃半年分滞納してたから、身体で払ってもらったってこと」
「マニアは詳しいからな。浮腫みとかですぐ勘付く」
同じように画面からはみ出しかけた手を指し示す。明らかにライセンスを偽造している機器はモニターも安っぽく、ちょっと爪で押されただけで不快な色に滲んだ。
「あと、生きてる奴の指を落としたら、もっと派手に血が飛び散る。いっそのこと、死んでるのを前提に撮れば良かったんだ。何なんだ、最初のところ」
うんざりとカウンター席を目だけで示す。
「ポルノの自己紹介みたいだ」
明らかに聞こえているはずなのに、スリップ姿で下手くそな代役を務めていた女はこちらを見向きもしない。だらしなく肘を付きアイスクリームでも貪っているのだろう。熱心に日焼け剤を用いているだけあり、仕事用のカットオフジーンズから伸びた脚はむらなくオリーブ色だった。確かにボディ・ダブルとしては不向きだろう。哀れな家賃滞納者はもっと痩せっぽちだったし、まるで蚕のように色が白かった。
「今時死体や殺しの場面なんか、ユーチューブで幾らでも見られる。もっと何か、あっと驚くものがないとな……ありきたりすぎる」
「誰かさんはありきたりで興奮するんだろ」