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スリーアローズ
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マリッジ・ブルー

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夏美が電話をかけてきたのは2年ぶりのことだった。「久しぶりに海が見たいです」と彼女は言ってきた。ぱっとしない日常生活をだらだらと送っていた僕にとっても、それは悪くないアイデアだった。
 夏美は予定通り15:25着の新幹線でやってきた。前回会った時よりもほっそりとした印象で、淡いパープルのガーゼ地のマフラーに白くて薄い生地のワンピースがよく似合っていた。いつもジーンズの上にイエローのパーカを羽織っていた学生時代の夏美がなつかしく思えるほどだった。
 僕たちはまず駅前に古くからある喫茶店に入ることにした。
「式の準備は順調?」と僕はベイクドチーズケーキを小さく切り分けながら聞いた。
「ぼちぼちというとこですかね」と夏美は言ってアイスコーヒーの氷をストローでつついた。「でも実感は湧いてこないです」
 僕は久しぶりの夏美の顔を見ながら「ついに夏美も結婚か」と言い、チーズケーキをかみしめた。夏美は「私もそろそろいい年ですから」とつぶやき、かすかに口元をほころばせた。大学時代には見られなかった小さなしわがそこにはあった。
「2ヶ月後だっけ?」
「ですね」
「それにしてもいい人を見つけたみたいだな」
 僕はそう言ってからストローに口を付けた。
「すごく誠実な人で、一緒にいて安らげるんです」と彼女は言ったが、さっきよりも声のトーンがいくぶんか低いように聞こえた。
「しかも県庁マンだろ? 安定した生活が送れるだろうしね」
 僕がそう言うと、彼女は何も言わぬまま伏し目がちに笑った。
 夏美が半年前にお見合いをしたということはメールで知らされていた。そして1ヶ月前に婚約をしたという連絡を受けたのがおとといの電話でだ。
 夏美は大学時代のゼミの後輩で、僕にとっては妹のような存在と言ってよかった。その頃は僕にも長く付き合っていた裕子というガールフレンドがいて、裕子と夏美と3人で食事をとることもしばしばだった。裕子は夏美をことのほか可愛がっていた。いつだったか、「裕子さんは実の姉よりもお姉さんらしいです」と夏美に言わせるほどだった。その妹のような夏美が結婚するという突然のニュースは少なからず僕の心を波打たせた。
 店内の時計に目をやるといつのまにやら16時半を過ぎていたので、僕たちは店を出て駐車場に停めてある僕のフォルクスワーゲン・コラードに乗った。
「ところで、どこに行こうか?」最初の信号で止まっている間に僕はそう訊いた。
「海ならどこでもいいです」と夏美は言った。 
 僕はコラードのハンドルを握りながら頭の中で幾つかの候補を絞り出してみた。しょっちゅう海を見たくなる僕にとっては候補はいくらでもあった。
「じゃあ、せっかくだから、少し遠出するか」と僕は言った。
「あー、それ、いいかも」と彼女は甲高い声を出した。学生時代の、いかにも夏美らしい声がそこにはあった。
 高速道路は使わずに国道を通ることにする。すでに太陽は西に傾きかけていて、シャンパンゴールドに彩られた空には脱脂綿の切れ端のような雲が流れている。
「きれいですねえ」と夏美は感慨深げに言った。「日頃の行いがいいと、こういうときに晴れてくれるものなんですよ」と言った彼女はどこか得意げでもあった。その横顔を見て僕も楽しい気分になれた。久しぶりの感覚だ。
 車を1時間ほど走らせたところで目についたコンビニエンスストアに立ち寄り、食料を調達することにした。彼女はさっそく弁当コーナーに歩み寄り、幾つかのパスタを手に取って品定めをはじめた。僕はアルコールのコーナーに行き、スクリューキャップの赤ワインを手に取った。ワインボトルを手にした途端にチーズも食べたくなったので、カマンベールチーズとチェダーチーズも買うことにした。夏美はいくつかのパスタとサラダを買い物かごに入れていた。その後でポテトチップスとジンジャーエールも入れて、僕に飲み物は要らないかと聞いてきた。僕は微糖タイプの缶コーヒーを買うことにした。それからついでにミネラルウォーターも買っておくことにした。
 買い物袋を提げて外に出ると、夕闇はひっそりと大地を包みはじめていた。空の低いところには宵の明星もきらめいている。
 夏美は車が再び走り出すや否やポテトチップスの封を開け、何枚かを僕に差し出した。それから缶コーヒーも開けて、カップホルダーにそっと置いてくれた。
「気が利くね」と言うと、少し照れくさそうに微笑んだ。
大学時代、夏美は僕の紹介で中澤という男と付き合っていた。中澤は僕の高校からの後輩で、偶然にも同じ大学に入学してきていた。彼は僕とは違って青竹を割ったかのようなぱりっとした好青年だった。ユーモアのセンスもあり、そこに存在するだけで自然と周囲に笑いをもたらすこともできる、そんな男だった。
 夏美と中澤は出会ってすぐに意気投合した。一緒に授業を受け、お揃いの服を着る。中澤はブルーのパーカ、夏美はイエロー。いつしか2人は夏美のアパートで寝食を共にするするようになった。何から何まで息が合っていた。僕の目から見ても2人には何かしら特別な絆があるように感じられた。たとえば前世からの宿縁によって結ばれているのではなかろうかと、僕でさえそう思わせるほどのカップルだった。
 2人は大学を卒業すると同時に揃って上京した。中澤は北品川の総合物産会社に、夏美は護国寺の事務機メーカーにそれぞれ就職した。僕は2人の結婚式の招待をいつ受けるものかと待っていた。ところが3年前に2人は別れてしまった。
 きっかけは夏美の父親の病気だった。急性のくも膜下出血を引き起こし、一命はとりとめたものの、長期のリハビリ生活を余儀なくされるようになったのだ。
 夏美は4人兄妹の下から2番目で、末っ子以外はすべて女だ。長女は仕事でアメリカに渡っていたし、次女は検査技師として国立の横浜医療センターで働いていた。末っ子の長男はまだ高校生だった。
 悩みに悩み抜いたあげく、郷里に戻ることができるのは自分以外にはいないと夏美は判断した。家族と故郷を捨てるわけにはどうしてもいかなかったのだ。彼女は会社に辞表を提出した。そして中澤とは自然と連絡が途絶えた。
 夏美が東京を離れた翌年に中澤は結婚式を挙げた。招待状をポストから取り出した時、それが何かのまちがいではないかと思い、目を凝らして何度も確認した。しかしそこにあるのは中澤の名前と、それから僕の知らない女性の名前だった。披露宴は芝公園を臨むアール・ヌーボー調の瀟洒なレストランで行われた。新婦は合コンで出会った保育士で、いかにも都会人らしいスマートな感じの女性だった。夏美よりも背が高く目元はきりっと引き締まっていた。彼女は中澤の隣で終始幸せそうな笑みを浮かべていた。ケーキカットの時にはキスまで披露してくれた。
 僕はというと、中澤の隣に夏美以外の女性が立っていることにどうも馴染めなかった。そうしてその新婦の姿に夏美を重ね合わせずにはいられなかった。結婚式の間はなんとも言いようのない気分が胸中に渦巻いていた。
「ところで、お父さんの体調の方は、どう?」と僕は訊いた。
「だいぶよくなりましたよ。今はもう歩行器なしで自力で歩けるようになりましたから」と夏美は即答した。
「君の看病が利いたんだな」と僕は言った。