The El Andile Vision 第2章
Episode.1 街道の激戦
――アルゴンの州都ジェラトへ続く街道。
暮色が濃くなるとともに、空気もじわりと冷たさが増してくる。
あと数キロで町並みも見えてくる。一刻も早く抜け出たいような、両側に鬱蒼とした木立が茂る山道に、馬車の足並みも自ずと急ぎがちになる。
荷馬車が三台。それぞれ御者の繰る鞭にも力がこもる。
――突然、駆け抜けようとする先頭の馬が、ひときわ高く嘶き、大きくのけぞった。御者も驚いて必死に手綱を抑えようとしている。
道の両側から幾つもの太い丸太が投げ出され、馬たちの行く手を塞いでいたのだ。後続の馬も同様に次々と止められた。どの馬も興奮し、鼻息も荒くその場を狂ったように行きつ戻りつしている。
そこへ、道の両脇から、疾風のように幾人もの黒い人影が躍り出た。
皆、頭から足の先まで黒装束にすっぽりと身を包み、殺気を帯びた目だけが頭巾の中から露出し、外を睨みつけている。
薄闇の中で、白い刀身が不気味に閃いている。
「ひいっ!『黒い狼』だあっ……お、お助けっ……!」
馬を抑えるのに必死だった御者たちは、今度は抜き身の短剣を手に襲いかかる黒い一団を見るや、忽ち手綱を放り出し御者台から転がり落ちた。
そんな御者の一人の上に馬乗りになった黒装束の賊が、にやりと笑いながら短刀を振りかざした。
が、その瞬間、彼の笑みは凍りついた。信じられぬように大きく目が見開かれたかと思うと、彼の頭はがくりと垂れ、それきり動かなくなった。
彼の背から血に塗れた剣の先端が突き出ていた。
その体の下から見えた御者の顔つきは、先程までとはまるで別人のようであった。
冷淡なまでに落ち着いた表情で、何事もなかったかのように、剣をゆっくりと引き抜くと、息絶えた賊の体を無造作に横に押しのけて立ち上がった。
その時には御者の顔はもはや完全に、場慣れした一兵士の精悍な表情へと変化していた。
「ケニーっ……!」
すぐ傍らで仲間が殺される場面を目撃した別の賊が恐怖の叫びを上げたが、彼も次の瞬間には御者の冷徹な剣の一振りで仲間と同じ運命を辿ることとなった。
「こいつら……違う!兵隊だ……騎兵だぞ!」
「騎兵だ!だましやがった。はめられたぞ!」
荷馬車の幌の中に乗り込んだ他の賊たちにも同じ悲劇が待ち受けていた。
幌の中には何人ものアルゴン騎兵が潜んでいたのだ。
怒号。悲鳴。剣が交差し、人が倒れ血飛沫が飛んだ。
「アルゴン騎兵団だ!罠だ!」
盗賊たちは狂ったようにわめいていた。アルゴン騎兵団の逆襲に、彼らは完全に恐慌状態に陥り、今やどうにも統制がとれなくなっていた。
「……ちっくしょおおお……このおおー!……」
果敢に立ち向かおうとする者の刃を、アルゴン騎兵の一振りがあっけなく打ち砕く。その凄まじい剣圧に、盗賊の体まで吹き飛ばされた。
地面に尻餅をついた盗賊の前にアルゴン兵の大刀が迫り、彼が思わず恐怖に目を見開いた時、脇から騎兵に勝るとも劣らぬくらいの逞しい体躯の大きな体が飛び出し、瞬時に目の前の騎兵の剣を薙ぎ払った。
毒づく騎兵をよそに、レトウ・ヴィスタは素早く仲間を引っ張り上げた。
「……馬鹿が!まともにやり合うんじゃねえよ!」
その耳元に怒鳴りつけると、乱暴に横へ突き飛ばす。飛ばされた者は、それでもよろよろと何とか平衡を保ち、慌てて安全な場所へ走った。
「盗賊ごときが……!」
一方、獲物を逃したアルゴン騎兵はぎらぎらした眼をレトウへ向け、再び大刀をかざした。
しかし、レトウはそれをなんなく受け止め、何太刀かを交わしたあと、強烈な一太刀で騎兵の大きな体をざくりと縦に裂き、斬り捨てた。
騎兵は愕然とした表情のまま、口から血泡を噴いて地に倒れた。
レトウの尋常ならぬ太刀さばきを見た周囲の騎兵たちは、一瞬ひるんだ。その間隙をついて、レトウは叫んだ。
「てめえら、いいか!慌てるな。できるだけ、団を組め。一対一で騎兵とやりあうんじゃねえぞ!」
その声に元気づけられたかのように、盗賊たちは少しずつ冷静に動き始めた。
確かに、数自体では、『黒い狼』たちの方が上回っていたが、相手は皆、彼らの倍以上の体躯の騎兵たちでしかも戦闘にかけては玄人中の玄人である。
まともに剣を合わせて到底かなう相手ではなかった。
レトウの指示は的確であったろう。
ところが丁度そのとき、荷馬車の来た方角から微かに新たな馬蹄の音が響いてきた。レトウは舌打ちした。
(ぬかりなく、手を回してあるってことか。……奴ら、相当本気だな。まずいぜ、こらあ――)
「新手だ!今度こそ騎兵団が来るぞ!」
誰かが悲痛な声を上げると、落ち着きを取り戻し始めた盗賊たちの中に再び混乱が起こった。
「……だ、駄目だ。このままじゃあ、皆殺しにあうぞ。逃げろー!」
誰かが叫ぶと、盗賊たちは忽ち右に左にばらばらと散り始めた。
「逃すな!一人残らず斬り捨てよ!」
騎兵の一人が容赦なく仲間に向かって叫んだ。
木立の中へ逃げ込もうとする盗賊たちをアルゴン騎兵たちが追いかけた。
ところが、茂みに入り込んだ騎兵の一人が、やにわに大きく悲鳴を上げると剣を振りかざしたまま後退り、そのまま後ろ向きに倒れた。
その喉が一文字に切り裂かれ、鮮血が噴き出している。
周りの兵士たち、或いは残っていた盗賊たちも思わず動きを止め、息を呑んだ。
木立の間から凄惨な返り血を浴びた黒装束の姿で現れたのは、小柄でどちらかといえば華奢な人物ではあったが、その圧倒的な存在感は、他の盗賊たちとはまさに段違いであった。
その黒い覆面の間から見える双眸は、夜闇に溶け込むように黒く、しかも爛々と燃え立つような激しい光を放っていた。
「……イサ!」
レトウが、にやりと笑った。
「首領だ!」
他の盗賊たちも忽ち歓声を上げた。
「狼めが――!」
近くにいた兵士が我に返って剣を上げようとしたが、それよりもイサスの短刀の動きの方が早かった。
兵士はあっという間もなく、血飛沫を上げて地に倒れた。
その目にもつかぬほどの刃の動き。短刀の長所を最大限に生かした動きであったが、とはいえ、常人にでき得るような技でもなかった。
騎兵団の中を見回しても、恐らく短剣をこれ程までに鮮やかに使いこなせる者はそうはいなかっただろう。
「――やっぱり、ティランの野郎か。……騎兵団に見事に嵌められたぜ。イサ、どうするよ!」
レトウは、イサスの横にするりと身を滑らせた。言いながらも周囲に間断なく、目を注ぐ。
イサスの目の表情は淡々としていた。
「……逃げるしかないな。新手が来る前に、おまえと俺とでここを凌ぐ」
「しゃあねえな!」
レトウは肩をすくめてみせたが、その目にはいつになく真剣な光が閃いていた。
仲間を逃がすためには、相当数のアルゴン騎兵を相手にしなくてはならないだろう。かつてない激しい闘いになることは間違いない。レトウにとっても緊張感が漲るひと時だった。
(しかし、それにしても――)
と、レトウはふと隣りに悠然と立つイサスを見て、思わず息を吐いた。
(こいつは、やっぱりすげえ奴だな。この俺でさえ、こんなに手に汗かいてるってえのによ。まったく……表情ひとつ、変えやがらねえ……)
作品名:The El Andile Vision 第2章 作家名:佐倉由宇