魔物達の学園都市
あの時、もし俺が武則天を止められなかったら、ヴラド公は言葉通りに俺やリーユンごと武則天を破壊していただろうと思う。
バケモノって形容じゃ足りない。あのヒトは次元が違う。
にも関わらず、事が終わっても、こうして俺達を生かしているのは、ぶっちゃけあのヒトだけは、俺たちを『脅威』として見ていないからだろう。
とはいえ、他の魔物にしてみれば脅威以外の何物でもない訳で、こうして俺は、地位と春菜先生という鎖で、言い方は悪いけど自由を制限された訳だ。
そしてリーユンも、そんな俺と、これまた春菜先生という二本の鎖で縛り付けられている。
でも、だからって、二人は俺の大切な人である事に変わりはない。だからこの裁定に、俺は反論する気もなかった。
まぁ、とはいえ、これが俺の受難――つか、女難の日々の始まりでもあったワケなんだが。
「いや、浮気じゃないんだろう? 何人と結婚してもいいって言ってるんだから」
ぽつり、と、学園長が核心を突いてくる。
刹那、ドアの向こうから室内になだれ込んできた一団があった。
「じゃあ! ワタクシも娶ってくださいますわよねっ? 黎様!」
先頭は、羅魅亜。
俺の敬称が『さん』から『様』に変わっているのは、どうやら本格的に恋乙女モードに変わっているかららしい。
「モキュモキュモキュ――」
で、俺の右手にむしゃぶりつく赤毛のイキモノ。彼女と視線が合うと、
「がるっ!」
がっしゃああ〜〜ん!
学園長室の窓を突き破って逃げて行った。
「いよ〜、親子どんぶりかよ黎九郎。どういう了見だテメェ」
三番手は、額から血を流している牛。さっきの赤毛に噛まれたらしい。
「テんメェ! シヌでゲスウウゥゥゥ〜〜ッ!」
四番手は、多分、ある意味無敵のナチュラル・ボーン・キラー。
だって、リニアガンの直撃食らってんのに、死なねーんだもんコイツ。
俺は裏拳でヤツの攻撃軌道を変えると、ヤツは赤毛が逃げた方向にかっとんでいった。
で、五番手のそのコに、俺は一通の手紙を渡された。
「あ〜……う〜……」
ジットリと貼りつくような視線が、リーユンや春菜先生、そして羅魅亜から注がれる。
俺が手紙を開いてみると、なんとそこには血文字! っつーか腐汁? らしきもので大きく描かれた『はぁとマーク』があるではありませんか!
「え〜……」
俺は、思わず一歩退く。
羅魅亜や腐女子ちゃんだけじゃない。廊下の遥か向こうまで、俺にラヴリーな視線を投げてくる魔物たちの貌がある。
あの更衣室の一件から、どうしてこうなっているのかが、マジ理解不能なんデスけれども。
で、まぁ、そうなれば、『雌を独占された雄が俺に向ける視線』ってのもまたあるワケで。
「ま……」
「仕方ないよね」
俺の退路を開くように、春菜先生とリーユンが、窓を大きく開けてくれる。
うんうん、よく出来た嫁たちだよまったく。
「じゃあみんな! アディオス!」
俺は爽やかに窓から飛び出した。
三十六計逃げるに如かず。君子危うきに近寄らず。
だがその瞬間、
「黎様! ワタクシの唇を奪っておいて、ワタクシを一人残されるのですかっ?」
背後からかけられた、無慈悲な羅魅亜のその言葉。
直後、俺は二本の手に足を掴まれ、窓際で逆さ吊りとなった。
「れ〜い〜く〜ろ〜!」
「ど〜ゆ〜ことどすかぁ〜?」
笑顔!
ステキな笑顔が二人分、俺を見下ろしています!
でも、オデコになんかスジっぽいものが浮いてマスよ? お二人さん!
「いや、じゃあ俺、総督府行ってくるんで、あとヨロシク!」
奪ったんじゃなくて『奪われた』んだとかいう言い訳が、この二人の耳には届かないと、俺は瞬時に悟った。だから俺は、いつかどこかで役に立つんじゃないかと思って用意していた煙玉を取り出すと、それを発火させた。
でもって、あとは靴をかたっぽ脱ぎまして。
目論見通りに落ちていく俺の身体。
俺は猫のように着地すると、そのまま走り始めた。
まぁ、しばらくは、地下都市に戻ってほとぼりがさめるのを待つつもりだ。で、ついでにじっちゃんの古文献を読み返して、女性心理を勉強しようと思う。
俺は走りながら、夏を迎えた大空を仰いだ。
世界の全てが、光に満ち溢れている気がした。
なんせ、俺は勝ったからな。失ったものも大きいけど、それで得たものはもっと大きい。
その中でも、ひときわ輝いてるのはリーユンの笑顔だろうか。だからこそ、俺の勝ちだ。
「……ま、おおむね結果オーライってコトで! なぁウズメ?」
《はい、そうですね》
俺の脳裏に、無機質な管理AIの返答が飛び込んできた。
そこには、あの『俺の母親』の面影はもうない。
地下都市の全てのエネルギーを最後のゲート生成に使ってしまったウズメは、量子サーバーの性質上、システムダウン後に、完全に初期化されてしまっていた。
俺はAIにもう一度『ウズメ』と名付けたが、やっぱりそんなコトじゃ、復活なんてしてくれなかった。我ながら未練たらしくて気恥ずかしい。
でも、後悔はしていない。ウズメとの思い出は確かに俺の中にあるし、あの時ウズメは、俺の選択こそが自分の選択だと言ってくれたから。
多分、ウズメは人類の残滴を消し去りたかったんだ。
人類の滅亡を『地球の滅亡』と言い換え、危機を理解していてなお何も手を打つことなく、欲に凝り固まった一部の――ほんの一握りの人間のために殺し合いまでした古い時代の人類。
ウズメはきっと、そんな存在の末裔である自分が許せなかったんだと思う。
だからこそ、俺を産み育て、その俺に人類の残滴を消し去らせた。
そう考えるのは、自惚れが過ぎるだろうか?
だとするなら――
いや、俺は俺の意志も加えて、春菜先生や学園長の研究に力を貸していきたいと思う。
長命の魔物の中には、まだ人間に対する嫌悪があるという。
だから、そんな感情の入らない中立な立場で、人類がどんな存在だったのか研究するのも意味があると思うし、こうして文明を構築した魔物が、人類と同じ過ちを起こさないためにもそれは必要だ。
ここは魔物達の学園都市で、俺はそこで暮らす、魔物たちの仲間なんだから。
それに、面白いじゃないか?
平和を願う人類が得られなかった平穏を、人類が忌み嫌った魔物達が手に入れたとしたら。
だから俺は、みんなが平和に楽しく暮らしていける、その礎になりたい。
――大切な人や、楽しい仲間たちと一緒に。
(了)